「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿
現状を直視、次の災害へ対応進める
~能登検案活動の問題と課題―日本法医学会~ 【第7回】
シンポジウムで対策本部の活動を報告する池松和哉・長崎大学医学部長=2024年6月5日、岡山市【時事通信社】
◇東日本と異なる状況、情報収集で困難も
池松和哉・長崎大学医学部長(日本法医学会庶務委員長)
日本法医学会は1月2日に災害時死体検案支援対策本部を立ち上げた。今回は対策本部の活動の中で、特に問題点と感じたことを中心にお伝えしたい。
最初に派遣までの流れとして、(地震発生後)現地の法医学関連機関とは連絡が取れたが、(検案医の現地)派遣に関して法医学会本部への依頼はなかった。また、警察は法医学会が現地に向かうことについて必ずしもウエルカムではなかった。これには理由があり、被災地に入った当該機関の責任者が(警察と)良好な関係をつくらなかったと聞いている。
地震の発生は1月1日16時10分ごろ。この1月1日というのが一つネックになっている。もう一つ、現地が能登半島であること。発生後、すぐに地図を見たが、山の中に道路が1本と海岸沿いに道路があるような状況だと分かり、これはと思った。
東日本大震災と今回の地震を絡めて質問される会員が非常に多かったが、東日本の時は高速道路がすぐに回復したし、日本海側から(被災地に)入れる態勢も(早期に)整った。つまり交通インフラの復旧の違いがあって、(二つの地震を)同様に考えるものではなかったと私は思う。
具体的な問題点としてまず、正確な情報収集の困難さ。1月1日の発生直後からさまざまなチャンネルを使い情報収集を試みたが、当日はほぼ報道によるもののみの入手だった。これは仕方がないかなと思っている。
現地法医学関連機関からの報告が全くない中、翌2日から庶務委員会のメンバーが非常に頑張り、各種機関から個人的に情報収集を行った。徐々に事態が明らかになり、この中で数百人の死亡が想定されるとの報告を受けた。
(警察庁から法医学会に正式な派遣要請が来る前に先遣隊として)金沢医科大学の水上創教授に輪島に入ってもらった3日以降は、必要物資や現地の状況、検案場所や宿泊施設の状況など、法医学的な視点からの情報が届くようになった。派遣を判断する上で、非常に助かった。
正月休暇中のところを関東から戻ってもらい、現地では電話も通じない中、ずっと私にショートメッセージを送り続けてくれた。
能登半島地震で被害を受けた家屋。正月飾りが吊るされたままだった=2024年2月25日、石川県七尾市【時事通信社】
◇意思疎通、スムーズでなかった
次に迅速かつ適切な連絡網の確立。正月という特殊な時期だったため、派遣依頼などを目的とした各法医学関連機関の連絡網構築に時間を要した。九州地区では(以前から)災害時に活用する連絡網があり、私は法医学会ならどこでも作っているものと思っていた。
災害の発生は時を選ばず。ぜひ各地区で、非常時の連絡網を構築してもらいたい。
三番目は関係諸機関との連携。会員個人が独自に、例えば関係諸機関にあたかも自分の意見を学会のものであるかのようにして接触し、その真意、真偽についてこちらに問い合わせが来ることがあった。こういうスタンドプレーは慎んでいただきたい。
対策本部立ち上げや派遣に関し、警察庁、厚生労働省、日本医師会、石川県内各機関との連携は不可欠と考えるが、さまざまな要因で必ずしもスムーズな意思疎通が行われなかった。
また、正月ということで、派遣に際して保険に入ることができなかったが、JMAT(日本医師会災害医療チーム)のメンバーとなることで、派遣者の保険加入が可能となった。日本医師会に感謝申し上げる。
四番目は派遣者の決定について。派遣者は、現地の受け入れ状況などを考慮して決定していた。水がない、寝る所が雑魚寝といった情報を伝えていたと思うが、一部の女性会員から女性を派遣しないのは性差別だと厳しい意見をいただいた。
情報をある程度出してきたつもりではあったが、情報の非対称性のために生じたものと考える。情報発信の難しさを改めて浮き彫りにしたものと感じている。
少し厳しい口調でお伝えしたが、日ごろの各地の先生方と行政、司法機関との連携は考えていただきたいと思う。今のわれわれの実態を直視して、日々行動していかなければならない。
(2024/07/18 05:00)