「医」の最前線 熊本総合病院の軌跡と奇跡

〔第4回〕「プライドを持てる街」に
新病院建設にかけた願い

 かつて熊本でつぶれる病院ナンバーワンとささやかれていた熊本総合病院は、築50年をゆうに超え、建物自体が限界に来ていた。島田信也氏が院長に就任すると、圧倒的なリーダーシップで病院経営は黒字化。1年半で7億円の累積赤字は解消された。そして、病院建て替え計画が現実味を帯びてきた。

石造りの新病院

 ◇恵まれた立地

 「増築を重ねた病院の外観はさながら古びた町工場のようでした。院内はところどころ雨漏りがして、壁には亀裂が入り、天井にはカビが生えていて、衛生面で心配になるほど環境が悪化していたんです」

 病院は街の中心にあって、市役所が目の前にある恵まれた立地。郊外に移転するより、この場所にとどまりたいと島田病院長は考えた。しかし、その場で建て替えるとなると、工事が診療の妨げになる上に、改築を繰り返したのでは、理想的な新病院建設は不可能だ。

 ◇高校跡地を取得

 そんなとき、八代市長から思いがけない話が舞い込んだ。市役所の隣にある高校が新幹線の駅近くに移転するので、その土地を取得しないかというのだ。「それなら、今の病院の跡地を駐車場にすることができて、願ってもない話。これまでの努力が報われたような気がしました」

 高校はカトリック系の学校だったため、取引相手はイタリアのローマパウロ修道女会。何度も煩雑なやりとりをして、ようやく用地取得にこぎつけた。しかし、いよいよ病院建設がスタートするというときに、またもや思いがけない事態が生じてしまった。病院の経営母体である社会保険庁が「消えた年金問題」をきっかけに解体されてしまったのだ。

 「病院は根無し草になってしまって、2年間、病院建設計画も頓挫しました」。地域住民からは、高校跡地は永遠の駐車場とやゆされた。

壁面はマホガニー、床は大理石

 ◇病院デザインに没頭

 病院建設計画が頓挫してしまい意気消沈するところだが、島田氏はこの時間をつかって病院のデザイン、設計を着々と進めた。「もともと建築に興味があって、米国立衛生研究所(NIH)時代、趣味で建物を見て回っていたんです。ワシントンDCは1700年代に設計された街で、建物もすばらしい。どうせ造るなら、100年使える石造りの病院にしようと思いました」

 北九州の石材店に、ありとあらゆる石のサンプルを持ってきてもらい、素材から自分の目で選んだ。

 「ニュージャロベネチアーノという石をブラジルから取り寄せました。日本で使うのは初めてだそうです。雲母の入った中国産はグレーだけど、これは石英が入っているから色合いも明るく深いでしょう…」。時間をかけて設計しただけあって、島田氏の話はとどまるところを知らない。

 「内装には無垢(むく)のマホガニーを使っていますが、何百本に1本しか出ないトラ模様のマホガニーを見つけたときは、うれしかったですね。床はイタリアの大理石、壁面の照明は岩を削って作りました」

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