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自宅で暮らすことの喜び 第56回

 介護が必要となった高齢者にとって、安全や健康の維持、さらには、家族介護者の負担の観点から考えれば、在宅生活が最良の選択肢とは限らないのかもしれない。

 それでも多くの要介護高齢者は、「できるなら自宅で」と熱望する。

要介護高齢者の自宅への退院には、喜びと不安が入り交じる

要介護高齢者の自宅への退院には、喜びと不安が入り交じる

 ◇喜びと不安

 「住み慣れた地域で、最期まで自分らしく暮らせる」

 これは、厚生労働省が医療費や介護費の抑制効果も含んだ「地域包括ケアシステム」の推進で繰り返されるフレーズだ。

 魅力的なフレーズではあるが、そんな決まり文句だけでは表現し尽くせない深い思いが、要介護高齢者それぞれの「できるなら自宅で」にはあるものだろう。

 特に入院中の患者が在宅復帰を望む場合には、「もうすぐ家で暮らせる」という喜びとともに、多くの不安が押し寄せる。

 トイレに間に合うだろうか、風呂に入れるだろうか、段差でつまずかないだろうか、家族は自分を笑顔で迎え入れてくれるだろうか、そもそも家族に迷惑をかけるのではないか、介護負担で家族は体調を崩さないだろうか、病気が再発したらどうするのかなど、「こんな体になった自分が、本当に自宅で暮らしていけるのだろうか」というさまざまな不安も横たわっている。

 ◇病棟看護師からの転身

 近畿地方の小都市でケアマネジャーの職について5年目の桜井京子さん(仮名)は、急性期や慢性期病棟の看護師を長年務めてきた。

 「病院では、一日でも早く家に帰りたいとおっしゃる高齢患者さんに数多く出会いました。だから、在宅ケアの仕事に携わりたかった」と転身の理由を語る。

 「看護師としての視野も広がると思ってもいました。でも実際に関わってみると、家に帰るという意味の重さと、在宅ケアの難しさには、想像以上のものがありました」

 ◇病院勤務では見えなかったこと

 病院から自宅に向けて送り出す立場では見えない部分も多かった。

 例えば、「バリアフリーの病院のリハビリ室や廊下では歩けても、段差だらけの自宅での移動にはリスクが大き過ぎる」といった事態は、日常茶飯事で発生する。病院では当たり前に使っていた歩行器が、自宅では使用困難なこともある。

 医師やリハビリ職が「家に帰っても大丈夫です」と保証しても、間もなく直面することになる自宅での生活の不安が一掃されるわけではない。

 最近は、退院前に患者の自宅を看護師やリハビリ職などが訪問する病院も増えてきた。家屋の構造や介護力など調査し、退院後の在宅生活で必要と考えられる指導を行った場合に「退院前訪問指導料」として診療報酬を算定できるからだ。

 しかし、わずかばかりの訪問時間で矢継ぎ早に繰り出される「指導」の不確かさを最も感じているのは、実は家族だったりする。

 桜井さんは、在宅のケアマネジャーの立場で退院指導に立ち会うことで、病院勤務時代には見えなかったことを実感するようになってきた。

 そもそも、利用者と家族の生活に「指導」という言葉はそぐわない。指導には、上下関係が存在し、「退院後の生活はこうしてください」という命令とも思える言葉には、たとえ口調が柔らかかったとしても、家族に大きな負担感を抱かせるものだ。

 ◇ゆっくり話し合うことの重要性

 「もっとゆっくり、退院後の暮らし方を、家族の目線に立って語り合うことが必要だ」

 そう痛感した桜井さんは、可能な限り時間をかけて家族と話し合うことにした。そうすることで、家族も支援する側も気が付かなかった、さまざまな問題が見えてくることがある。それを丁寧に手当てするのが、ケアマネジャーの役割だと、桜井さんは思っている。

 ◇ゆっくり話し合えない現実も

 しかし、入院期間短縮の流れとともに、退院の期日が待ったなしで迫ってくる場合も増えてきた。

 利用者や家族の喜びや不安が交差する中、わずかな期間で、退院後の準備を整えなくてはならない場面に、桜井さんはしばしば遭遇した。準備を整える間も、利用者や家族の心理状態は揺れ動いている。

 そんな心理状態への手当てもそこそこに、在宅サービスを調整したり、制度の説明をしたり、ベッドなどの福祉用具を入れたりするといった準備を慌ただしく整える必要がある。

 ◇退院後の生活も平易ではない

 そのようにして何とかたどり着いた自宅での暮らし。しかし、本人の健康状態の変調や体力の低下、本人と家族の認識のずれ、家族介護力の変化、先の見えない介護生活でのしかかる家族への重荷など、さまざまな問題が起こってくる。

 それを一つひとつつぶし、軽減していくのが、在宅生活の相談援助職であり、サービスのコーディネーターでもあるケアマネジャーの仕事だ。

 ケアマネ歴4年半。桜井さんは、在宅生活継続のための支援の勘どころが、ようやく分かりかけてきたと言う。

 「1カ月たったね」「もうすぐ半年だよ」「1年も頑張れるとは思わなかったね」

 自宅で暮らし続ける日々を利用者と一緒に指折り数えて喜ぶこと。「それが何よりの仕事の手応えです」と桜井さんは、目を細めながら語ってくれた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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