こちら診察室 介護の「今」
「パパ、幸せよ」 第40回
「まだ、こんな病院があるのか!」
老人保健施設(老健)の入所判定会議の席上、老健の管理医師は1通の紹介状を見て、天を仰いで嘆息した。
老健への妻の入所中、夫は認知症の妻をドライブに連れ出すことができた
◇紹介状
精神科病院からの紹介状だった。紹介状とは、医療機関の医師から出された診療情報提供書で、患者の基本情報や傷病名、紹介目的、症状経過、検査結果、治療結果、現在の処方(投薬内容)などが記載されている。
また、要介護の高齢患者の場合には、日常生活動作や認知機能に関連した情報が記載されていることもある。
管理医師が嘆いたのは、紹介状にしたためられた悪意をも感じさせる文面だ。
◇嘆息した文面
紹介状には、患者の状態が書かれていた。
「入院時は、徘徊(はいかい)が頻回であったが、現在はふらつきが多く歩行困難、車椅子を使用、食事拒否が多く全量摂取できず、不潔行為毎日、奇声多くも発語なし、介護拒否、つねるなどの暴力行為あり、仙骨部に直径10センチの褥瘡(じょくそう)あり」
また、処方の欄には、抗認知症薬だけではなく、抗精神病薬、向精神薬、その他の薬剤がずらりと並んでいた。
「薬漬けで、車椅子抑制か…」
管理医師は、そうつぶやいた。
◇入院までの経過
患者、すなわち老健への入所希望者は、62歳の若年性認知症の女性である。夫が妻の異常に気付いたのは2年前だった。
夫は妻の異常を察知し、精神科を受診した。診断名は、若年性アルツハイマーだった。
「早くに受診していれば」と医師は無慈悲に言った。
その後の進行は速かった。治療の成果は薄く、妻の言葉は失われ、徘徊(はいかい)や不潔行為が出現した。
同い年の夫は、企業戦士だった。子育ては言うに及ばず、家のことはすべて妻任せ。夫婦間の会話も少なく、「もっと早く気付いていれば…」と自分を責めた。
せめてもの償いにと懸命の介護を続けた。だが、ついに夫の顔すら認知できない日が訪れた。夫は「もはやこれまでとか」と在宅介護を断念することにした。介護疲れも極限にまで達していた。
◇病院から救い出す
入院したのは精神科病院だった。自責の念もあり、できるだけ面会に訪れた。しかし、面会に行っても妻は夫が分からない。しかも、会うたびに妻は弱っているようだった。入院の時は歩けていたが、3カ月を過ぎる頃には車椅子に乗せられていた。確実に妻は弱り、「人」でなくなっていく経過をたどっていた。
「病院は、治す所じゃないのか!」と思ってもみた。その一方で、「認知症という病気は、どうにもならないものだろう」という気持ちもあった。
夫は、自分では何もできないことにますます自分を責めるようになった。
ある日の面会で、車椅子に縛り付けられている妻の姿を目撃した。顔をしかめる夫に職員は「こうしないと、暴力を振るうんです」と悪びれずに言った。
「でも、縛るのはあまりにもかわいそうじゃないですか」
「なら、連れて帰りますか?」
それからほどなくして、夫は妻を病院から退院させた。妻を救い出したかった。その思いだけで、妻を退院させた。
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(2024/10/15 05:00)
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