こちら診察室 介護の「今」

「パパ、幸せよ」 第40回

 ◇相談の結果

 病院から連れ出したものの、夫に当てはなかった。もちろん、在宅介護の自信はない。わらにもすがる気持ちで地域包括支援センターに相談に行った。担当者は、老健への入所を勧めた。夫は、もう二度と行くことはないし、行きたくもないと思った病院から紹介状をもらい、老健へ提出した。

 老健は入所判定会議の結果、「うちが受け入れるしかないね」と入所を承諾した。

 ◇「あなたの責任ではありません」

 夫に付き添われ、やがて妻が入所した。2人を職員たちは笑顔で迎え、居室へと案内した。何度も頭を下げる夫、表情の乏しい妻。職員に妻を委ね、夫と介護の責任者との面接が始まった。

 夫は自分を責めた。発病までのこと、発病からの素人介護、介護を投げ出し病院へと妻を追いやったこと、病院選びに失敗したという後悔…。ここまで状態を悪くしたのは自分のせいだと、夫は深くうなだれた。

 責任者は、病院の医師や職員たちが夫の心理面での手当てを何らしなかったことに内心で憤慨しながら「今の奥さまの状態は、決してあなたの責任ではなく、アルツハイマーという病気のせいです」と丁寧に説明した。

 夫は一瞬顔を上げた。しかし、妻が壊れていく過程を見続け、入院で状態の急降下を体験した夫の視線は再び相談室の机に貼り付いた。

 認知症の人の心

 「一見、何も分かっていないように思えるかもしれませんが、奥さまは胸の中でいろいろなことを感じているはずです。認知症になっても、情緒や感受性は十分に残されています。病院で介護を拒否なさったのも、奥さまなりの感受性の表現かもしれません」

 「私にできることは何かあるのでしょうか」

 「無理のない範囲で面会にいらっしゃって、奥さまとの関係を保ち続けること必要だと思います。ドライブにお連れになるのもいいでしょう。そのうちにお二人だけで外食ができるようになるかもしれません」

 「そんな日が来るのでしょうか」

 「それを信じて、ご一緒に頑張りませんか」

 ◇ケアパワーの集中投下

 老健では、さまざまな職種が連携しながら、妻に密度の濃いケアを提供していった。ケアパワーの集中投下だ。並行して、服薬の種類も必要最小限に減らされた。ケアの具体例は省略するが、1カ月後には妻の心身状態は改善に向かい始め、2カ月後には車椅子から離脱できるまでに回復した。

 1日おきに通ってきた夫は、次第に柔らかくなっていく妻の表情に、自分の顔も緩むのを感じた。

 程度の差はあるが、病院は治療を、介護施設はケアをもっぱらにする。認知症の患者の扱いに困っている病院は少なくない。一方、介護施設では、認知症の利用者がいるのは当たり前なのだ。だから、利用者へのケアも的を射たものになっていく。

 ◇その日が来た

 日を重ねるにつれ、妻の体の状態が改善し、表情が明るくなっていった。ドライブにも外食にも行けた。もちろん、物忘れが治ったわけではない。でも、封印の呪縛を解かれたように、妻は感情を表に出せるようになっていった。

 そして、その日がやって来た。妻を自宅に迎えるための試験外泊が許されたのだ。

 その夜、久し振りに夫は妻とベッドを共にした。妻の髪を優しくなでながら「こうして家に戻れるなんて夢のようだね」と語り掛けた。すると、妻は言葉を返した。

 「パパ、幸せよ」

 それ以上言葉は続かなかった。でも、夫には十分過ぎる妻のひと言だった。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。


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