こころの病気とは

 人間のこころ、すなわち精神にはさまざまなはたらきがあります。思考・感情・意欲などです。ふだん私たちは意識しませんが、これら個々の要素は、うまく連携をとってはたらいています。
 たとえば、朝ごはんを食べてさあ出勤というときには、「今日はAさんに会って交渉をまとめる仕事がある、うまくいくか心配だ」と思考しながら、感情的にはすこし不安になり、しかしがんばってやろうと意欲が出てくるといったふうです。
 これらの調和がくずれかけた、あるいはくずれた状態がこころの病気といえます。

■精神のはたらきの故障
 こころの病気になると、精神のはたらきのどこかに故障が出てきます。一つのはたらきの故障はほかのはたらきにも影響を与えることがあります。
 一例として強迫症状という状態を考えてみましょう。これは、「外出するときいつも戸締まりが気になる、何回見直しても安心できない」といったように、一つのことが気になる状態を指します。この場合、同じことを何度も考え、自分ではコントロールできません(思考のレベルの異常)。同時に、考えをうち消して無理にも確認をしないでいると不安でいたたまれなくなります(感情のレベルの異常)。症状が進むと、見直し行動の時間が長くなり、日常生活への意欲がなくなってきます(意欲のレベルの異常)。
 このように、こころの病気では、通常いろいろなレベルで障害が起こってくるのです。本来精神のはたらきは有機的につながっているからです。

■本人の悩み
 こころの病気では、本人が一人で悩んでいることがしばしばあります。病気の症状が行動面に出てくるまでには、長い時間がかかっていることが多く、その間、本人はだれにも相談しないことが多いのです。
「精神のはたらきの故障」で例にあげた強迫症状でいえば、こんなつまらないことが気になってばかばかしい、しかし無理にやめようとすると不安になってしまう、自分をコントロールできずだめな人間だ、などといった内容です。そのように悩むのは、症状のいっぽうで健康な自分がいるからです。健康な自分が病気の症状について考え、感じるから悩むのです。これは、ちょうど胃潰瘍の患者が胃が痛いと感じ大丈夫だろうかと悩むのと同じことです。
 しかし精神のはたらきが強く障害されると、自分は病気ではないと考え、周囲にも自分は病気ではないと伝えるようになることもあります。しかしそうなっても、悩んでいる自分がなくなるわけではありません。そのような健康な自我を強くしていくのが治療上大切なことです。

■周囲の認識
 こころの調和がくずれかけても、必ずしも周囲がそれと気がつくわけではありません。本人が一人で悩んでいる状態であれば、からだがわるいわけではないので周囲の人は気がつきにくいのです。しかし、それが行動面の変化につながると、とたんに周囲が気づきます。
 さきの強迫症状の例でいえば、本人が気にするだけであったり、見直しの行動が1回や2回であれば、特に異常とは思われません。ちょっと神経質かなくらいで終わってしまいます。しかし4回も5回も見直したり、そのために学校や会社に遅刻したり、日常必要な行動がとれなかったりすると、誰もが問題視します。
 このように、行動面の異常が出てはじめて周囲が病気と認識することが多いのです。

■からだの病気とこころの問題
 どのようなからだの疾患でも、こころへの影響は避けられません。ちょっとしたかぜをひいても、もう治らないかもしれないと不安になることがあります。ましてや、がんなどの病気になると、精神機能にかなりの影響が出てくるのがふつうです。場合によっては専門的な治療が必要になることもあります。
 また「病は気から」というように、からだの症状は精神的な影響を受けて出ることがあります。現在内科などで診察を受けている人の多くが、検査をしても特別異常が見つからないことがあるといわれています。いかにからだの症状にこころの状態が関与しているかがわかります。

(執筆・監修:高知大学 名誉教授/社会医療法人北斗会 さわ病院 精神科 井上 新平)