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医学部を志望する女性は近年急増しています。私が医学生時代は同級生100人のうち女性はわずか8人でしたが、今は入学する学生の約4割を女性が占め、医師という職業が女性にとって当然の選択肢になりました。ただ問題は、女性が医師として働き続けられるかということです。また医療現場で管理職として働く女性も依然少数です。
ある調査によると、女性の医師就業率は、医学部卒業後、年が経つにつれて減少し、卒業11年後(30代半ばごろ)に76%で底を打つと再び回復します。他の職業と同様に、結婚・出産期に当たる年代にいったん低下し,育児が落ち着いた時期に再び上昇するM字カーブと呼ばれるものです。
女性医師が働き続け、現場で管理職として活躍するには仕事と家庭の両立が不可欠です。その実現には、労働時間の短縮や保育所の整備だけではなく、女性医師自身の意識も大きく関わります。
今回は、女性医師がキャリアを積み重ねていくことについて東京女子医大名誉教授の橋本葉子先生にお話を伺いました。橋本先生は、医師がまだ女性の職業選択肢になかった時代に医師を志し、ご自身の研究が国際的に高く評価されただけでなく、日本女医会会長として後輩女性医師のキャリア教育にも力を注いでこられました。(文 海原純子)
橋本 私の父は内科医でした。私の兄弟は6人ですが、上3人が女性でしたので、私は父の後を継ごうかと思っておりました。家は茨城県石岡市です。戦前の石岡辺りはまだ医学博士など少ない頃で、小さな開業医でありながらレントゲンの設備を入れて診療しておりました。
海原 当時、医師になるためにはどのようなプロセスが必要だったのでしょうか。
橋本 私は終戦後、医学部の教育制度が新しくなった時の第1期生です。それまでは女性が医師になろうとすると、医学専門学校しかありませんでした。新しい教育制度の下、東京女子医学専門学校が大学(東京女子医大)としてスタートし、その最初の入学試験を受けました。しかし、それまで医学専門学校に通っていた2学年上までの方々がそのまま大学生に移行したので、東京女子医大の卒業は3期生になります。
私たちは最初、尋常高等小学校に入りました。それが途中で国民学校になり、6年生で国民学校を卒業しました。その後、女性のみの女学校に入りましたが、2年生の時に終戦を迎え、その後、新しい教育システムになりました。私は旧制女学校に入学し、新制高校を卒業しました。
医学部は高校から直接入学できず、4年制大学の教養課程で医学部受験に必要な単位を取り、それから医学部の入学試験を受ける制度でした。当時の女子医大の定員は40人。入学後2年間は基礎医学、その後2年間は臨床医学、それで医学部は卒業できますが、その後1年間インターンをしないと医師国家試験が受けられませんでした。国家試験に合格しないと医師免許は取れないので、インターンとしての1年間は学生でもない、医師でもないという中途半端な身分でした。その後インターン制度廃止運動が起こり、卒業後すぐに国家試験が受けられる現在のような仕組みになったわけです。
(2017/09/14 10:44)
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