Dr.純子のメディカルサロン

「女性医師のキャリア形成」 橋本葉子・東京女子医大名誉教授

 海原 それほど大変な時代に医師になるのはよほどの決意がないとだめですね。先生の同級生40人はどのような方たちでしたか。

 橋本 それぞれに志があり、全国各地から集まって来ていました。当時はクラブ活動などもありませんでしたから、もう毎日勉強だけ。それしかなかったですね。

 海原 先生は基礎医学の道に進まれましたが、それはいつ頃決めたのですか。

 橋本 医学部3年生の時、臨床実習が始まりましたが、逆にその頃からだんだん基礎医学への興味が深くなりました。特に、生理学に興味があり、前から時々生理学の研究室に出入りしておりました。当時の女子医大の生理学教室は1教室でしたが、教授は慶応大医学部生理学教室出身の方で、私がインターンの時、その教授が慶応大医学部の生理学教室で新しい研究室を立ち上げることになりましたので、医師免許取得後、私はそこの助手として研究者生活を始めることになりました。

 海原 米国に留学されていますが語学や経済的なご苦労はありましたか。

 橋本 3回留学しましたが、大変だったという記憶がありません。語学はアメリカに行く前に夜間の語学学校に少し通いました。最初はオハイオ州立大視覚研究所に行きましたが、英語は日常生活ではそれほど困りませんでしたし、経済的にも助手待遇のお給料をいただきました。2度目はエール大眼科学教室に行きましたが、この時は講師待遇でした。3度目はマサチューセッツ州ウッズホールにある海洋生物学研究所でした。ここへは自費で行きました。

 海原 ウッズホール海洋生物研究所というのは珍しいと思いますが、どのような研究をされたのですか。

 橋本 昭和天皇が訪問されたことでも知られていますね。私はこの研究所でウグイという魚を使い、紫外線に反応する視細胞があるのではないかという仮説に基づいて研究をしました。その結果の論文は「サイエンス」(※)に載りました。


【海原注】「サイエンス」は科学ジャーナルとしてのインパクトファクター(文献引用影響率)が高く、掲載されれば世界的な研究として評価されたと言える。


 海原 後輩の医師のためにキャリア形成を支援する活動をされていますね。

 橋本 普通の医大では女性の医師の数が少ないから支援もしにくいと思いますが、女子医大ではそうした試みがやりやすいという利点がありますので、いろいろな仕組みができております。以前、女性医師支援に関して全国の女性医師の調査をしたことがあります。その中で一番怒りを感じたのは、「今、どういう仕事をしていますか?」という質問に「何もしていない」と答えた人が少しおられたことです。その人たちにその理由を聞いたところ、「働く必要がないから」と答えた人が国立系大学の卒業生におられました。私はこの返答に驚き、怒りを覚えました。

 国公立大医学部を卒業して医師になったということは、国の資金を使い、医師の技術を得たということです。働く必要をうんぬんすることではないはずです。病気でないなら、どんな形でもお返しをしないと。今は考え方が少し変わったとは思いますが。


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