一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏
(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く
入学時の初心を貫徹して、留年することなく1983年3月に日大医学部を卒業した。5月に医師国家試験に合格、順調に医師への第一歩を踏み出した。当時は卒業後、7割が出身大学の付属病院で研修を受けていたが、天野氏は医局に残らないことを大学5年の時、すでに決めていた。
2004年には新医師臨床研修制度が始まり、大学の医局より幅広い診療能力が身に付けられる臨床研修病院での研修が推奨されるようになったが、天野氏はこの20年前、時代を先取りする「先見の明」を発揮した。
三井記念病院は、父親が最初に心臓の手術を受けたこともあって研修医の試験を受けたのだが、結果は20人中8番で4人の枠に入れなかった。学生時代からの苦手科目だった英語が足を引っ張った。最終的に当時、研修医の給料が高かった関東逓信病院で2年間、初期研修を受けた。
「学費を出してくれた親に仕送りをしたかったんです。初任給35万円は当時としては高い方でした。28歳で初めて実家を出て寮生活を始めたのですが、最初は月5万円、アルバイトをするようになってから月10万円を送りました」
麻酔科、消化器外科などを1年間ローテーションした後、心臓血管外科で1年間研修を受けた。研修医が大事にされる働きやすい環境だった上、尊敬できる先輩たちにも恵まれた。
しかし、間もなく病院が民営化され、名称がNTT東日本関東病院に変わると、国からの補助金がカットされ、年間80例あった心臓血管外科の手術が30例ほどに激減してしまう。「外科医は毎日手術に入らないとダメだよ」と先輩からアドバイスされ、より多くの手術が経験できる環境を探すようになった。
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(2016/12/26 11:12)