一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く

 最初は国立循環器病研究センターの研修医に応募したが採用されず、千葉県鴨川市にある亀田総合病院で若い医師を欲しがっているという話を聞いて、鴨川まで訪ねていった。電車で行くと東京駅から外房線の安房鴨川駅まで2時間弱、東京駅から長距離バスに乗っても2時間近くかかる。

亀田総合病院で心臓外科医の専門医として修行した天野氏(1986年撮影)
 「トンネルを出ると、そこは雪国じゃなくて、病院だったという感じで、病院を一目見て、ああ、すごいな、ここに勤められたらいいなと思いました」

 1985年6月、天野氏が30歳の時に、亀田総合病院で後期研修が始まり、心臓外科医の専門医としての修行が本格スタートした。

 亀田総合病院の心臓血管外科は天野氏が医学部を卒業した年にできたばかりだったが、都内の大病院から次々と心臓病の患者が紹介されてきた。米国で13年間経験を積んだベテランの心臓血管外科部長が指導医となり、天野氏は房総半島の南端にいながら米国と同じ内容の研修を受けることができた。

 「部長の手術の腕は当時の日本ではトップレベルと言われていて、彼の心臓バイパス手術を最初に見た時には、その鮮やかさに感動しました」

 上司は日本のように年功序列にこだわることもなく、やる気があって力のある者には、早くから執刀の機会を与えてくれた。天野氏自身、手術の場数を踏むにつれて、どんどん腕が上がっていく手応えを感じていた。

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


→〔第8回へ進む〕父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂

←〔第6回へ戻る〕型破りの「文武両道」=苦手克服より得意分野

  • 1
  • 2

一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏