女性アスリート健康支援委員会 バセドウ病と泳げる喜びと
2度目の五輪でつかんだ銅
悔しさばねに成長、体調管理も奏功―星奈津美さん
バセドウ病という試練を乗り越え、北京五輪の競泳女子バタフライ200メートル代表に選ばれた星奈津美さんは2008年8月、初めての大舞台に立った。予選は2分7秒02で自己ベストを更新し、翌日の準決勝に進んだ。だが、全体の10位で、決勝に進むことはできなかった。「まだ全力を出さないと予選を勝ち抜けないレベルの選手で、準決勝でタイムを落としてしまって。自分の力が世界には通用しませんでした」と振り返る。
「まだ自分の力が世界に通用しませんでした」と北京五輪を振り返る星奈津美さん。悔しさをばねに、4年後のロンドンを見据えた
当時は高校3年の17歳で、日本の競泳陣では最年少。オリンピックに出たことだけで満足する気持ちもあった。「他の選手やコーチから『最初の五輪で結果を出せる人は少ないから、いい経験ができたと思った方がいいよ』と言ってもらい、その先の目標が明確になったのかなと思います」。じわじわと悔しさがこみ上げ、4年後のロンドン五輪を見据えた。
高校卒業後は早稲田大学に進み、練習を続けた。幸い、北京からロンドンまでの4年間に、バセドウ病が悪化することはなかった。11年4月には2分6秒05と初めて200メートルバタフライの日本記録をマークし、その後も記録を伸ばした。
ただ1回だけ、激しい疲労と体重の減少を病気のせいだと疑ったことがある。いよいよ12年の五輪イヤーを迎え、酸素の薄い高地で泳ぎ込み、心肺機能を高めようと、標高2000メートル近い中国・雲南省の大理でスイミングクラブの仲間と合宿した時の話だ。
◇高地合宿で飛躍、驚きの日本新
北京五輪の女子200メートルバタフライ予選で力泳する星奈津美さん(時事)
今では笑い話として語れるが、半泣きになって母に電話した。すると、予想外に冷たい口調の言葉が帰ってきた。「毎日薬を飲んでいるのに、急に悪くなるわけがない。疲れが取れないのは当然で、それだけ頑張れているんじゃないのと言われて。確かに、直前には好タイムが出ていたので、消費カロリーを食事で補い切れなかった面があったのだと思います」。コーチと相談して練習のオフを増やし、きちんと栄養を取ると、体重は増え、体調も戻った。前年の世界選手権で日本記録を更新しながら3位に100分の1秒差の4位になって感じた悔しさが、この時も猛練習を支えた。中国の高地合宿後、ロンドン五輪の代表選考会を兼ねた4月の日本選手権を前に、グアムで最終合宿を行った時にはもう、選考会での好記録を予感していた。「気圧が高く、体が動かしやすいグアムで中国合宿の疲れを抜いて、時差のない日本に戻り、レースを迎えるスケジュールでしたが、ものすごく調子がよくて。オリンピック出場はもう大前提でした」
200メートルバタフライ1本に絞った代表選考会のタイムは、自身の日本記録を1秒22上回る2分4秒69。「目標以上でびっくりした」と本人も驚く記録で五輪出場を決め、金メダルを狙える位置へと一気に躍り出た。
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(2018/11/24 07:00)