女性アスリート健康支援委員会 バセドウ病と泳げる喜びと

インターハイ優勝後、突然の発症
復帰果たし初の五輪決める―星奈津美さん

 競泳女子200メートルバタフライの五輪メダリスト、星奈津美さんが最初にプールに入ったのは、2歳になる前だ。幼稚園の頃には、もうバタフライを泳いでいた。「プールの時間がすごく楽しみだったのは、よく覚えています。スイミングクラブの先生がバタフライをほめてくれたのがうれしくて。子どものころから大会に出る種目はバタフライ一筋。珍しいタイプですね」と笑う。

 「そんなに早く泳いでいないのに何で息が上がるんだろうと思いました」とバセドウ病発症時を振り返る星奈津美さん

 初めて個人メドレーを泳いだのは、幼稚園の年中組の時だったと、最近になって母から聞いた。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロールの4泳法で、合計100メートル。「25メートルを4回、1分くらいずつかけて、速くはないけれど、一生懸命泳いでいたらしいです」。小学生になり、練習が次第に厳しくなっても、少女は生き生きと泳ぎ続けた。

 後にバタフライのトップスイマーになった時、レースの後半に強さを発揮する片りんはすでに表れていた。小学生の大会の種目は100メートルまで。得意の200メートルはないため、後半型の持ち味を生かせず、全国大会には出場できなかったが、中学生になると頭角を現した。

 中学2年と3年の全国大会では200メートルバタフライで4位に入賞。2度目の時は、表彰台を逃した悔しさが喜びを上回った。「高校生になったら、絶対に表彰台に立ちたい」という思いをかき立てられ、スイミングクラブの苦しい練習に打ち込み、ひたすら泳ぎ込んだ。

 ◇激しい息切れ、疲労で気づく

 2006年、地元埼玉の春日部共栄高校に進学した星さんは、1年生の夏のインターハイに出場し、200メートルバタフライを2分11秒02で制した。生まれて初めての全国優勝だった。甲状腺の病気であるバセドウ病を発症したのは、その快挙からまだ半年もたたない時期だ。16歳になった「バタフライの申し子」は、さらに上のレベルを目指し、猛練習を続けていた。

 水泳を始めた頃の星奈津美さん(中央手前)(家族提供)

 その頃にはもう、「通常の練習ベストを尽くすのは大前提。自分でプラスアルファの練習をしないと、表彰台には立てない」と考えていた。散歩好きの祖父の勧めもあり、スイミングクラブの週3回の朝練がない日には、家の周りを走る陸上トレーニングで心肺機能を鍛えた。だが、次のシーズンに向けて最も泳ぎ込む冬の合宿中に、それまで経験したことのない息切れと疲れを感じた。

 「最初は、そんなに速く泳いでいないのに、何でこんなに、ハアハアと息が上がるんだろうと思って。疲労感の割にタイムもよくない日が何日も続き、心配したコーチが家に帰るように言ってくれました」。数日後、母と一緒に病院に行って、精密検査を受けることになった。その結果、体調不良の原因だと分かったのがバセドウ病だ。実際に患者になる前には一度も名前を聞いたことがなく、思いもよらない病気だった。

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