女性アスリート健康支援委員会 バセドウ病と泳げる喜びと
2度目の五輪でつかんだ銅
悔しさばねに成長、体調管理も奏功―星奈津美さん
◇大舞台にピーク合わせる難しさ痛感
12年8月、いよいよロンドン五輪の勝負の時が来た。大学4年の21歳で、押しも押されもせぬメダル候補として迎えた2度目の五輪。星さんは「本番に調子のピークを合わせる難しさを感じていた」と明かす。素晴らしい記録が出た代表選考会のレース後、いったん調子を落としていた。
低用量ピルは、副作用が出ることもある。星さんは医師から「体重が増えやすくなるかもしれない」と告げられた。「でも、ロンドン前のスペイン合宿中に体重が増え、先生に相談したときには『食べ過ぎもしれない』と言われて。疲れを抜くため練習量が減ったのに、現地の食べ物がおいしかったから食べ過ぎたのかもしれません」。少し食事を節制したら、体重をうまくコントロールできた。体調的には問題なく、五輪に臨むことができた。
◇リオへ道半ば、再び変調
星さんは大舞台で、この4年間の成長を示した。200メートルバタフライの最初の予選を余裕の泳ぎで突破し、準決勝も3位のタイムで通過。五輪で初めての決勝のスタート台に立った時、思い描いていたのは、先行するライバルたちを後半に追い込んで逆転する得意のレース展開だ。両腕で水をキャッチして両足のキックを打つ。腕が水をかき切った後にもう一度キックを打つ。100メートルを6番手で折り返した星さんは、この動作のリズムを正確に刻み続けた。
150メートルをターンした時、3位まで順位を上げていた。最後の50メートルで先頭をとらえることはかなわかった。だが、この種目ではアテネ大会の中西悠子選手以来の銅メダル。「最初から最後まで自分らしいレースをやり遂げることはできた」と、メダルの喜びをかみしめた。
星さんが再び、深刻な体の変調を感じたのは、ロンドンとリオの中間年に当たる14年のことだ。8月のパンパシフィック選手権の時から調子が上がらず、9月のアジア大会のレースでは、自己ベストには遠く及ばなかった。「何百回も泳いだ200メートルのレースの中で一番きつかった。最後まで泳がずに立ってしまおうかと思ったくらい、疲れました」。それは、高校1年で薬の服用を始めて以来、バセドウ病の症状が初めて悪化したことを示すサインだった。(水口郁雄)
◇インターハイ優勝後、突然の発症(バセドウ病と泳げる喜びと・上)
◇手術決断し、スイマー人生完泳(バセドウ病と泳げる喜びと・下)
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(2018/11/24 07:00)