こちら診察室 アルコール依存症の真実
心の「金属疲労」 第5回
「金属疲労」とは、1985年の日航ジャンボ機墜落事故で有名になった言葉だ。過重な負荷を繰り返し受けることで疲労を起こし、わずかな力で破壊に至ることがある。人の心も繰り返しの負荷に耐えられないことがありそうだ。
今回は、アルコール依存症になった3人の女性たちの物語を続ける中で、Bさんにスポットを当て、「心の金属疲労」を考えていく。
流しの下に隠した安酒を飲む
◇「どうにもならないもの」
40歳を過ぎて始まったBさんの「隠れ酒」は、夫のギャンブル癖が発覚したのがきっかけだったという。Bさんは振り返る。
「普通なら、『ギャンブルはやめて!』って怒りまくったり、泣き叫んだりしますよね。でも私はそうしませんでした。というか、できなかったのです」
理由について、こう話す。
「正直に自分の感情を出せないということを何十年も引きずっています。だから、人に対して怒ったり、逆に甘えたりすることもできないのです。夫に対してもそうでした」
Bさんは「私は自分のおなかの中に、どうにもならないものを抱えています」と語る。
◇逆境
子どもの頃の境遇が「どうにもならないもの」を生んだのだとBさんは断言する。
まさに、逆境とも言える境遇はこうだ。
▽Bさんの母親は3回結婚した。Bさんの父親は2度目の結婚の相手だ。
▽母親は最初の結婚で3人、2度目は2人、3度目では1人の子どもを生んだ。
▽1番目の夫とは死別、2番目の夫とは離婚した。3番目の夫の時、母親は子どもたちを残して蒸発した。蒸発の理由については誰も話してくれない。
▽一番上の兄とその次の姉は障害者だった。それに続く兄と姉は中学を卒業すると家を出て働いた。
▽一番下の妹は3番目の父親が連れて家を出た。残されたのは障害者の兄と姉とBさんだけだった。
生活費は既に家を出ている兄と姉が入れてくれた。2人は中学を出てそれほどたっていないわけだから、入れてくれる生活費もわずかばかりだった。そのうちに、親戚の伯母が市役所の人を連れて来た。障害者の兄と姉は施設に入れられ、Bさんは伯母の家に引き取られた。
その後、伯母の家でも苦労を重ねる。引き取られてほどなくして伯母の家の家業が傾き、Bさんはまるで「貧乏神」のように扱われたという。
◇逃げ場
Bさんは言う。
「少女時代は本当にいろいろなことがありました。貧しかったし、普通の家じゃなかったし、自分に対しての劣等感がすごかった。それを隠そうと思い、自分の感情を表に出さないようになったのだと思います」
そんな少女時代のBさんが逃げ込んだのは、本の世界だった。
「本だけが私の癒やしでしたし、逃げ場所でした。それが、お酒に変わっただけなのかもしれません。きっと、何かに依存する体質なのかもしれません」
Bさん自身の評価の可否は問わない。ただし、本に逃避したという少女時代から、はるかな時を経て酒に依存したということになる。酒への依存は40歳を過ぎてからだ。もしかしたらその間は、緊急避難先を必要としていなかっただけなのかもしれない。
◇「人並み」の負担感
Bさんには、少女の頃の体験から「私は人並みじゃない」という思いがあった。25歳で結婚して、やがて子どもができた。勤め先や母親同士の集まりで酒を飲み、夫と晩酌をし、一見すると人並みの付き合いができていた。
「人並みじゃない私が、人並みのことをやっていたのです。心のどこかが金属疲労を起こしていたのだと思います」
そう語るBさんは、「心の金属疲労」を軽減する手だてを持ち合わせていなかった。
「感情を表に出さないように、自分の内面を人に話すことはありませんでした」
少女時代から、困っても「助けて」と援助を請うことは一度もなかった。大人になってもそうだった。
「自分の心の中には恥というか、劣等感というかそんなものがたまっています。それを見せたくありません。もちろん、心を打ち明けて相談できる人は誰もいませんでした」
Bさんは人生を通じ、悩みを人に打ち明けることは決してなく、自分の胸の内で処理を続けてきたのだ。
◇金策の悩み
夫のギャンブル癖が発覚する以前のことだ。夫は小遣いに窮していることがたびたびあった。「付き合いが多くてね」と言うのが理由だった。仕事柄、海外出張があった。本当は仮払金が出ていたのだが、夫はそれを隠し、「立て替え分を用立ててほしい」と頼むのが常だった。頼まれたBさんはその都度、兄を頼った。「なぜ、本人が来ないの?」と言われ続けたが、家計の金策は妻の役目だと思っていた。
「今思えば、私は夫のイネイブラーでした」
イネイブラーとは、アルコール依存症やギャンブル依存症などの「嗜癖」を陰で手助けしている身近な人のことを言う。やがてアルコール依存症となったBさんは、一足先にギャンブル依存症となった夫のイネイブラーだったのだ。それもまた、知らず知らずのうちに心の金属疲労となっていた。
◇流しの下の安酒
そんなこともあり、夫のギャンブル癖が分かった時はショックだった。しかし、前述したように、Bさんが夫を非難することはなく、誰かに相談することもなかった。
家には夫と晩酌で交わす酒が常備してあった。夫と子どもがいないある日、Bさんはその酒を飲んでみた。
誰かと飲むことはあっても、一人で酒を飲むことはなかった。その酒の味は苦くはあったが、浮世の疲れや悩みから逃げるための妙薬でもあった。
その日以降、Bさんは流しの下に自分のための安酒を隠し、一人で飲むようになる。金属疲労の果てに折れた心を癒やすために。(続く)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
ジャーナリスト
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。
(2022/01/18 05:00)
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