一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第18回)陛下の手術チーム始動=初ミーティングで成功確信

 合同チームメンバーらが東大講堂に集まり、ミーティングがあったのは手術4日前。天野氏は「手術が終わり陛下が元気に退院して、元通りの生活に戻られるまではわれわれの責任。その間一人でも集中力を欠いたり、自分は関係ないと思ったりした瞬間、この治療はうまくない方向に行きます。それは絶対に許されない」とあいさつ。参加者全員が真剣なまなざしで自分を見ているのが分かった。

 「『何だ、こいつは』ではなく『この人のためなら自分たちは頑張れる』という顔でした。僕は腕には自信があるが、よそ者で私学出身。大学受験で浪人中にパチンコなんかやっていた。こんな人間を受け入れてくれるんだって思いましたね」天野氏が大学教授になったばかりの時、味わったような逆風はここにはなかった。

 「陛下に良くなってほしいという東大職員の思いがすごく純粋でした。そのために働くというプライドがすごくあって、この状況でうまくいかないわけがないと思いました。思い切り応援されながらバッターボックスに向かう選手みたいな気分。今でも感謝していますね、あの状況には」

 順天堂大からは天野氏のほかに助手の外科医1人、手術介助の看護師2人、麻酔科医1人が参加。術後管理の当直も半分担当した。

 手術前夜、東大病院からの帰り道、スタッフと一緒に夕食を取った。「最初はすし店に向かったが、生ものを食べてノロウイルスに感染したら全員に迷惑を掛ける。結局イタリアンの火の通ったものしか食べませんでした。こんなに危機管理をしたのは初めてです」

 天野氏はその夜、いつも通り病院の教授室のソファで眠りに就いた。「毛布をかぶったらもう寝ていました。緊張して眠れない、ということもなかったですね」

 手術当日、いつものように午前5時半ごろに目が覚めた。テレビをつけると自分の教えた後輩医師らが各局に出演し、これから行われる手術の内容を解説していた。

 「『何だこれは』って思いました。でも心臓バイパス手術と同時に、脳梗塞予防の処置も決めていた。事前公表していなかったから『きょうやることをパーフェクトに当ててみろ、全然分からないよな』って思ってテレビを見てました」

                      (ジャーナリスト・中山あゆみ)

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