一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏
(第2回)スキー没頭、成績急降下 =高校からは「暗黒時代」
田園風景が広がる埼玉県蓮田市の自宅から、大宮駅で電車を乗り継ぎ、浦和市(現さいたま市)の埼玉大学教育学部付属中学に通い始めると、天野篤氏の好奇心は一気にはじけた。
「埼玉県在住の人なら分かると思いますが、蓮田から見たら浦和も大宮も都会。それがマイナスに働いたのではないですかね」と天野氏。「見るものすべてが目新しく、喫茶店で初めてスパゲティナポリタンを食べたことをよく覚えています。日産が東アフリカ・サファリラリーで優勝した頃で、モータリゼーションが進み、女の子と早くドライブしたいと考えるようにもなりました」
中学1年で初恋も経験する。「入学してすぐ気になったのは、スポーツも勉強もできた女の子。さっそうとしていて男女を問わず好かれるタイプでした」。天野氏は周りからはやし立てられ、修学旅行で二人きりにさせられた。しかし、彼女からは「バスケットボール部の先輩で憧れている人がいるから」と言われ、見事に振られたという。
中学では水泳部に入り、受験のきっかけにもなったプールで思う存分泳いだ。「実力はまあ普通。市の大会で優勝して県大会で予選落ちする程度。バタフライをノーブレスで泳ぐのが一番格好いいと思って、リオデジャネイロ五輪金メダリストの萩野公介選手みたいに、個人メドレーで出場しました」と話す。
中学時代も成績は優秀で受験勉強の苦労もなく、県内最難関の県立浦和高校に入学。「入学時は410人中60番ぐらいでした。当時は毎年、東京大学に70~80人合格する学校でしたから、東大に行けるだろうと軽く考えていました」
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(2016/11/21 10:47)
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