一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第2回)スキー没頭、成績急降下 =高校からは「暗黒時代」

 高校時代は、中学校の卒業旅行で初めて体験したスキーにはまった。夏休みに水泳の監視員のアルバイトでためたお金で、冬はスキーざんまいの日々を送った。

 「夜行列車『越後』に乗って、新潟まで一人でスキーに行っていました。ゲレンデだけでは物足りず、整備されていないリフトの下や、コースから外れ滑走を禁止されている山の方で滑ったり、大回転などの競技スキーにも挑戦したりしました」

 しかし、天野氏の成績は入学後下がり始め、2年時の6月の中間テストの順位は240番ぐらい。古典科目では3年1学期に、5段階評価で最低の「1」が付いた。

 「父親が学校から呼び出されました。先生に『このままだと留年で卒業できませんよ』と言われ、父親から『お前、何をやっているんだ』と怒られましたね。それでもまだ、他の教科の成績は悪くなかった。授業をさぼってマージャンにいそしむ毎日は変わらなかった」と天野氏。「教師から『3学期の古典科目の試験(50点満点)で10点取らなければ卒業させないと言われましたが、本当に(合格点ギリギリの)10点でした」と笑う。

 これまで、ほとんど勉強しなくても成績は良かったのだから、危機感を持たなくても当然と言えば当然だ。しかし、中学校でトップの成績の生徒ばかりが集まった進学校ともなると、そうはいかなかった。「卒業時の成績は確か310番ぐらいだったかな。青春の芽生えとともに、天野家にとっては暗黒の時代になりました」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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