女性アスリート健康支援委員会 問題意識のない現場~医師の立場から

女性アスリート支援の団体結成に尽力
~まだまだ不十分な生理への理解~
―札幌厚生病院の三国雅人医師―(1)

 北海道の女性アスリートを心身両面で支援する「女性アスリート健康サポート北海道」の立ち上げに尽力した札幌厚生病院婦人科・生殖内分泌科部長の三国雅人医師。立ち上げに至るまでの苦労や現状などについて話していただきました。聞き手は、スポーツドクターの先駆けとして長年活動されてきた一般社団法人「女性アスリート健康支援委員会」の川原貴会長です。

2019年、陸上の北風沙織選手(左から2人目)、島田雪菜選手(同3人目)らと三国雅人医師(左端)

 ◇スポーツ好きが活動の原点

 ―三国先生とスポーツとの関わりはどういうものだったのでしょう。

 「私自身はきちんとした競技歴というものはありません。札幌市で生まれ育ち、子供時代から(スポーツを)やるのも見るのも好きでした。学校の運動会のリレーではいつも選手に選ばれたり、友だちの父親から『出てみないか』と言われてポンと出場したスピードスケートの大会でいきなり入賞したり。スケートは本格的にやったことはなかったのですが、そういう経験があります。中学校ではバスケットボール部、大学ではテニスをやっていましたが、球技はあんまりうまくはなかったです。それでも見るのは好きでしたね。子どもの頃からマラソン中継のフランク・ショーター選手(米国)とか瀬古利彦さん(日本陸上連盟副会長)とかをよく見ていました」

 ―スポーツに長年関わってきた私より詳しそうですね。

 「小学校3年生の時には札幌冬季五輪(1972年)がありまして、その頃からマニアックに(五輪を)見ていました。今でも覚えているのが、アルペンスキー男子回転のフェルナンデス・オチョア選手。スペインの選手としては初めてアルペン競技で金メダルを獲得しました。それからフィギュアスケートのジャネット・リン選手(米国)のことや、(ジャンプ70メートル級で表彰台を独占した)日の丸飛行隊(笠谷幸生、金野昭次、青地清二の3選手がそれぞれ金、銀、銅メダルを獲得)のことですとか。(日本ジャンプ陣4人目の)藤沢隆選手が1本目のジャンプで4位だったとか、結構細かいことも覚えています。とにかく五輪についてはマニアックに覚えていますね」

 ―産婦人科医として女性アスリート支援に至る経緯はどういうものでしょう。

 「医学部に入り、お産に感激したことで産婦人科医になったのですが、医学部時代からスポーツに関心があったものですから、『女子陸上選手が生理のときには、どうしているのかな』という疑問がずっとありました。月経によって調子なども変わってくるでしょうから。でも、テレビをはじめ、マスコミで表立って報じられることはなかったですからね。私は大学や地方病院などを経て2003年から札幌厚生病院にいますが、その頃に競技をやっている学生さんだったか社会人だったか忘れましたが、月経で困っている方が来院されました。薬を出すにあたってドーピングの問題などを確認しようと、川原先生がいらした国立スポーツ科学センターに問い合わせをしたことがありました。その時の古いメモが今もここに貼ってあるのですが、筑波大学の目崎登先生を紹介され、電話で相談に乗っていただきました」

 ―目崎先生は1980年代に無月経の問題などについて研究されていました。87年に日本スポーツ協会(当時は日本体育協会)のスポーツ診療所の所長に私がなった際に、初めて女性外来で週1回、目崎先生に来ていただくことになりました。

 「そうでしたか。当時は私の場合、あまりそのような患者さんの来院はなかったですし、私自身も何をどうやったらいいのかも分からないという状況でした。しかし、何かできることはないかと考え、2010年にスポーツドクターの講習を受け始め、12年に認定を取得しました。今はだいぶ産婦人科医も増えたと思いますが、その時の講習は産婦人科医は私だけで、『ここに産婦人科医がいていいのかな』と思ったほどでした」

 ―今は産婦人科医が増えましたね。その後はどうなりましたか。

 「スポーツドクターを取得したことで、日本スポーツ協会のホームページに名前などが掲載され、それを見た旭川医科大学の整形外科の先生からバレーボールをやっている高校生を紹介されたことがあります。その後、『女性アスリートの健康手帳』を無料で作成していた順天堂大学の先生とメールでやりとりをしていたのですが、その先生から北海道のアイスホッケーの高校生を紹介されるなどしました。そのあたりから少しずつ(病院に)来ていただけるようになりました」

 ◇女性アスリートの健康問題への無理解に驚き

 ―そこから北海道の組織の立ち上げにつながるのですね。

 「2015年から17年ごろでしょうか。地域として何とかサポートできないものかといろんな方に相談しましたが、実際問題として、何をどうしたらいいか分かりませんでした。とりあえず栄養士さんは外せないということは認識していました。ただ、産婦人科医が勝手に何かやっていると言われるとまずいと考えましたので、そうならないように配慮しました。北海道医師会の理事になっている産婦人科医の先生に相談したところ、『医師会だけでは難しい』ということで北海道の教育庁や健康福祉課などに話をしていただき、当時の高橋はるみ知事(現参議院議員)につないでいただきました。理事の方が動いてくださったことや知事の一声もあったおかげで、少しずつ動き始めました。そして19年に女性アスリート健康サポート北海道が立ち上がりました」

 ―大変ご苦労されたことと思います。三国先生のおられる病院では「女性アスリート外来」という項目が掲載されているようですが。

 「私は不妊症、ホルモンや内分泌が専門です。ホームページには『女性アスリートの方で何か悩みがあれば相談してください』という内容を記載していますが、女性アスリート外来として特定の診療の曜日などが決まっているわけではありません」

 ―それを見て受診される女性アスリートの方は多いのでしょうか。

 「女性アスリート健康サポート北海道の他の先生方もそうなのですが、実際にはそう多くはないですね。私を知っている旭川の先生から紹介が来たり、陸上短距離で活躍した福島千里さんが所属していた北海道ハイテクACから紹介いただいたり、北海道カーリング協会の末席にいる関係であるチームの選手を診察するようになったりなど、どちらかと言えば紹介されてというケースが多いです。それでも大学生や高校生がホームページを見て来院するということはあります」

 ―なるほど、三国先生の関係のツテや紹介などで診るようになったケースが多いということですね。

 「そうですね。私は北海道スポーツ協会のスポーツ科学委員会の仕事もさせていただいていますが、各競技団体として女性アスリートの健康問題をどれぐらい認識しているかを調べるため、昨年度に北海道スポーツ協会に加盟している60ほどの加盟競技団体にアンケート調査を実施し、過半数の35の団体から回答を得ました。その結果、私を含めて女性アスリート健康サポート北海道の先生方もみんなびっくりするぐらい、各競技団体が女性アスリートの健康問題をほとんど認識していないことが分かりました。

三国医師

 ―具体的には。

 「ある程度は女性アスリートの健康問題を把握しているものだと思っていました。しかし、回答を得たうちの半数以上が『知らない』『聞いたことはあるが分からない』というものでしたので、あまりにもギャップが大きくて驚きました」

 ―外来にもあまり来ないというのは、そういう理由があるのかもしれませんね。

 「そうですね。札幌には大倉山ジャンプ場がナショナルトレーニングセンター扱いなのですが、帯広のスケート場もナショナルトレセン扱いで、そこに女医さんがいらっしゃって話を伺いますと、スピードスケートはかなりきちんとやっている感じですね」

 ―それは、国立スポーツ科学センターで研究員などを務めた鈴木なつ未拓殖大准教授が、スピードスケートの科学スタッフとしてかなり教育したからではないでしょうか。

 「なるほど、そういうことですか。他の競技団体は問題があることすら分かっていなさそうですね。そういう団体を啓蒙(けいもう)するために、月経痛や月経困難症に関して、ポスターやパンフレットなどを作成して配布しようかなと思っています。女性アスリート健康サポート北海道としても、『婦人科医の問診や講演などもしますよ』と訴えていきます」(了)

 三国雅人(みくに・まさと) 札幌厚生病院婦人科・生殖内分泌科部長。1988年、北海道大学医学部卒業。医学博士。日本産科婦人科学会産婦人科専門医・指導医。日本生殖医学会認定生殖医療専門医・指導医。日本スポーツ協会公認スポーツドクター。日本医師会認定健康スポーツ医。日本パラスポーツ協会公認障がい者スポーツ医。日本トレーニング指導者協会認定トレーニング指導者。北海道スポーツ協会スポーツ科学委員会委員。女性アスリート健康サポート北海道理事・幹事長、北海道カーリング協会指導普及委員会委員。60歳。札幌市出身。

【関連記事】

女性アスリート健康支援委員会 問題意識のない現場~医師の立場から