女性アスリート健康支援委員会 金メダリストの自己管理術

「楽しかったから続けられた」
~苦境乗り越え、周りの支えに感謝~
-スピードスケート金メダリストの佐藤綾乃選手-(1)

 2018年の平昌五輪スピードスケート女子団体パシュートで金メダルに輝いた佐藤綾乃選手。日本の女子では冬季五輪史上最年少となる21歳73日での快挙でした。4年後の22年2月の北京五輪では、同種目決勝で連覇を目前にしながら最後のカーブでメンバーの1人が転倒し、惜しくも銀メダルに終わっています。ただ、個人種目の1500メートルでは、メダルにあと一歩の4位入賞と手応えを感じることもできたことを強調しました。月経痛などの問題では、基礎体温の測定の習慣付けやピルの適正な服用で克服できたことが競技に集中できる大きな要因になったそうです。北京五輪から3カ月後の5月中旬、佐藤選手にスピードスケートへの思い、4年後の五輪に向けた心境、女性アスリートとして後進へのアドバイスなどを語っていただきました。

五輪のメダルを手に笑顔の佐藤綾乃選手

五輪のメダルを手に笑顔の佐藤綾乃選手

 ◇悔しかった団体、自信になった個人種目

 ―団体パシュートで銀メダル、個人種目ではメダルまであと一息の4位。この結果は、4年後にイタリアで開催予定の五輪に向けてモチベーションになっていますか。

 現在は、まだ4年後のことは考えていません。(五輪は)体力的にも精神的にも一番しんどいので、4年後のことを考えるのは難しいなと思います。4年後のことを考えるのではなくて、目の前の大会を一つ一つ定めて、やっていきたい。周りの皆さんから「4位で惜しかった」と言われることも多かったですが、自分としては金メダルを取ったぐらいのすごい結果だったので、大きな自信になっています。

 ―団体の方はどうですか。

 そっちの方が悔しい気持ちは大きかったです。転倒というのは滑りながら防げるものでも避けられるものでもないので、そうなってしまう前に自分を含めて3人でやれることがあったのではないかとも思う。勝てた試合でもあったので正直悔しい気持ちが強いです。

 ―滑りながら前方の選手を手で押す方法も試しましたが、それについては。

 日本選手団は五輪前にコロナ禍でなかなか大会に参加できない時期がありましたが、(他の国では)その前のシーズンに前方の人を押す方法がはやりました。やってみないと分からないので私たちも工夫してやってみましたが、平昌五輪の時より個々の力が上がっているのに、パシュートの最終タイムはそんなに変わらなかった。選手の中では、やりづらいとか違和感とか、私たちの中でなかなか納得のいかないところがありました。最終的には、これまでと同じようにやるということになりましたが。そのことを五輪直前ではなく、もっともっと前に今までと同じようにやるんだということをクリアにしておくべきでした。そうしていれば何かが変わったかもしれません。

 ―4年後、またこの種目に出場できるとしたら。

 4年後をまだ全然考えることができていません。パシュートではメンバーも変わると思うし、自分も同じようにはできないし、個々の力も違うし、一からつくっていくのは難しいことだと思います。4年間やるのではあれば、コーチや他の選手ともしっかり話し合ってやっていきたいです。

 ―もう一度五輪にチャレンジしたいという思いはありますか。

 チャレンジしたいというより、スピードスケートをやっていく上で、ああいう大舞台の個人種目でメダルを取るということは自分にとっても価値が大きいので、単純に(表彰台に)立ったら「気持ちいいだろうな」との思いはあります。

はきはきと話す佐藤綾乃選手

はきはきと話す佐藤綾乃選手

 ◇スタッフらのサポートで絶不調克服

 ―世界のトップで戦う中で、これまでの苦労や挫折をどうやって乗り越えてきましたか。

 挫折は何度経験してきたか分かりませんが、最近で一番ひどかったのは(平昌が終わった後の)19~20年シーズンで、ワールドカップの代表にも選ばれなかったぐらい(力が)落ちてしまいました。自分のためというのもありますが、それより私を支えてくれた人たちのことを考えると苦しかったです。栄養面や精神面で支えてくれた人たちへの感謝の気持ちは結果で示さなければいけないと思いがあったからこそ、そのシーズン後半に元の自分のコンディションに戻すことができたのではないでしょうか。

 ―やはり平昌が終わってリセットするのは難しかったのですか。

 今の気持ちと違い、その時は北京に向けての気持ちがありました。しかし、それまで大きなけがをしたことがなかったのに、内転筋とハムストリングの間の筋肉に肉離れを起こしてしまいました。練習を休まなければいけない状況でしたので焦りもありました。その影響から夏場に気持ちだけ先走ってオーバートレーニングになってしまった。それが氷上での結果に響きました。

 ―競技をやめてしまいたいという気持ちにはなりませんでしたか。

 それはありました。「1周滑ったら疲れてしまう」「氷を見たくない」「リンクに行きたくない」-。その時にコーチと話し合い、「1週間氷から離れてリフレッシュしてきたら」と言われ、初めて自分を見つめ直すことができました。「何のためにスケートをやっているのか」を突き詰め、これほど自分と向き合ったことはなかった。それで改めて「スケートの楽しさって何だろう」と考え、「世界大会で表彰台に上がった時の楽しさやうれしさ」-。スケートをやっているのはこれなんだと気付きました。今振り返ればいい経験でした。それがなければ、ここまで伸びることもなかったでしょう。

 佐藤綾乃(さとう・あやの)選手略歴 2018年平昌五輪の団体パシュートで金メダル、3000メートルで8位入賞。22年北京五輪では団体パシュートで銀メダル、1500メートルで4位、マススタートで8位入賞。高崎健康福祉大学を経て全日本空輸(ANA)所属。1996年12月10日生まれの25歳。北海道厚岸町出身。(了)

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