こちら診察室 介護の「今」
笑いのある暮らし 第35回
夫が80歳を迎えた4年前の朝。朝刊を読んでいた夫の体がすっと後ろに傾いた。
呼び掛けると、「何らか、変ら」という応えが返って来た。歯切れのいい、いつもの夫の話し方とは違う。起き上がろうとするが、うまくいかないようだ。
妻が育った大家族は、毎日、集会状態だった
◇夢うつつ
2歳年下の妻は、目の前に起こっていることが不思議な出来事のように思えた。何かをしなければいけない。でも何をすればいいのだろう…。夢うつつの時がしばし流れた。そうこうするうちに夫は、何もなかったように起き上がった。実は、夫の身に大事が起こっていたのだが、そのしるしはしばしの間、封印されてしまった。とはいえ、妻はほっと胸をなで下ろす気分にはなれなかった。今までと同じ毎日には終止符を打たなければならないのだろうという不安な予感にわしづかみにされたのだった。
その予感が思い過ごしなのではないかと思われ始めた矢先、夫の体が再び傾いた。今度は、妻はちゅうちょしなかった。119番を回す。今どき珍しいダイヤル式黒電話の9番のダイヤルが、恐ろしくゆっくり戻っていくのがもどかしかった。
夫は脳梗塞だった。
◇脳梗塞
2020年患者調査(厚生労働省)によると、全国の脳血管疾患総患者数174万2000人のうち、最も多いのが脳梗塞で119万9000人、脳出血は20万1000人、くも膜下出血は6万2000人、その他の脳血管疾患は28万人と推計されている。
戦後から1980年ごろにかけて、日本人の死因のトップは脳血管疾患だった。その後、がん、心疾患、老衰が死因の高位となり、2022年では第4位となっている。
◇帰りたい
夫は幸い命はつないだものの、左半身にまひが残った。再び自分の力で歩くのは難しいらしい。だが、「可能性はゼロというわけではない」と医師は言う。いちるの望みをかけて、入院中の夫はリハビリに汗を流している。ただ、いくら励んでも、回復は遅々として進まない。病院生活にもかなり嫌気が差しているようだ。妻が面会に行くたびに、「帰りたい」と言うようになった。
「お医者さまはどう言っているんですか?」
「もう1カ月は我慢しろとさ」
「じゃあ、それまで待ちましょう」
「待つもんか」
「えっ!?」
◇謀反
夫は帰宅の機会を狙っていた。介護保険の要介護認定が出て、ケアマネジャーも決まり、住宅改修で取り付ける手すりの位置を合わせるために、一時的に帰宅が許される。大人相手に許す、許さないなどナンセンスだと思うのだが、入院生活とは得てしてそういうもので、主導権は医療の側にある。でも、家に帰ればこっちのもの。夫は二度と病院には帰らず、そのまま退院を強行する「謀反」に打って出たのである。
「いいんですか?」
「生活の選択権は、当事者にある」
「ケアマネさんとか、リハビリの人とかに迷惑はかからないですか?」
「私を悪者にすれば大丈夫さ」
「あの病院では、二度と診てくれませんよ」
「病院なんて、幾つもある。ただ、逃げ隠れはしない。病院の主治医には、電話で自分の意志を告げる」
こうして、在宅復帰を力業で実現させた。
◇在宅療養生活の二つの壁
退院の経緯はどうあれ、それからは在宅介護サービスを利用しながら、暮らしを組み立てなくてはならない。ところが、夫自身の気持ちが大きな壁となった。
一つ目は、人の世話になるということ。長年にわたりトップとして企業を引っ張ってきただけに、世話をされる側に自分を位置付けるのは、どうにも収まりが悪いようだ。
二つ目は、家に他人を上げるということ。長い間、しゅうとと妻と3人暮らしだった。しゅうとが他界してからは2人だけ。子どもはおらず、自宅はいわゆる山の手地区にあるため、近隣の人とは外で挨拶を交わす程度。訪れる人もほとんどなく、家の中は至って静かだった。そこに他人が入り込んでくるのには、かなり抵抗があるらしい。
妻は困った。1カ月や数カ月なら介護できるだろうが、1年、2年、3年となると、体力的に続ける自信がない。着替え、洗面、入浴、食事、排せつ。どれ一つ、自分一人でできるのものはないのだから…。
◇取引とお試し
ケアマネジャーは、折り目正しい話し方をする女性だった。訪問するたびに夫と1対1で話をし、介護サービスの利用を勧め続けた。その口説きの論法は「取引」だ。
このまま家に居続けるためには、妻が健康でなければならない。そのためには妻の負担を減らすことが必要だ。だから介護サービスを利用することを勧める。
なるほど説得力がある。ただし、頭で理解するのと体で納得するのには隔たりがある。その隔たりを埋めるのは「お試し」だった。嫌なら断ってもいいという条件の下で、介護サービスを一つひとつ試していった。
その結果、訪問看護、訪問リハビリ、訪問介護、通所リハビリ、ショートステイのサービス利用が実現した。
そして今では、医師と看護師の訪問診療のほか、福祉用具の担当者もしばしば自宅を訪れる。
◇忘れていた笑い声
妻は結婚するまで、騒々しい大家族のもとで育った。4世代家族で、親戚2家族も一緒に住んでいた。赤ん坊から年寄りまで、総勢20人以上の大所帯。とにかく、朝から晩まで騒音が渦巻いていた。
ところが、妻が嫁いだ家は一転して静寂に包まれた世界だった。
静けさだけではない。実家とは決定的に違うものが嫁ぎ先にはあった。「笑い」がなかった。
実家では、騒々しさの中にさまざまな声が混ざり合っていた。
怒鳴る声、ののしる声、泣く声、自己主張する声、命令する声、反抗する声、ぼやく声、そして笑う声…。笑う声だけは、種々の声の中でも別格だった。その声を聞くと、騒々しさのあまり耳をふさいでいた手を、パッと開きたくなる。一つの笑いは、他のあまたの声を打ち消すほどの威力があった。
妻は、本当に長い間忘れていたものに出会う喜びを感じた。
特に、サービス担当者が集まる会議の日は大いににぎわう。会議がない日にも、訪問者は「笑い」を連れてやって来る。妻にはとても懐かしいにぎわい、夫には人生で初めてのにぎわい。「こんな暮らし方もあったのか」。二人はしみじみと思った。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。
(2024/08/06 05:00)
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