こちら診察室 介護の「今」

老人居酒屋 第31回

 要介護や要支援状態の人たちが集う場所がある。といっても、デイサービスや老人福祉センターではない。

要介護状態の高齢者や障害者が集う居酒屋があった

要介護状態の高齢者や障害者が集う居酒屋があった

 ◇坂下の赤ちょうちん

 公園通りの坂下に「やきとり」と書かれた赤ちょうちんがぽつんとともっている。小さなたたずまい。新参者を寄せ付けない雰囲気が漂い、入り口のドアを開けるのをためらわせる、そんな居酒屋だ。

 散歩をしていたある日、筆者は少し勇気を出してドアを開けてみた。5人も座れば満員になりそうなカウンターだけの小さな店内には、2人の先客がいた。1人は80歳くらい、もう1人は70歳くらいの女性だ。どちらも痩せた小さな体をちょこんと止まり木に乗せ、目の前には焼酎の瓶が置かれていた。後日、口の悪い客が2人を「干物姉妹」と言ったが、ぴったりの形容だ。

 高齢の方の女性がマスターに「ちょっとお願い」と言う。瓶が重くて持てないらしい。マスターは慣れた手つきでウーロン茶割りを作る。「氷、入れ過ぎよ!」と注文が飛ぶ。その様子を見ながら、「要介護認定をしたら、要支援程度は出そうだな」と筆者は思った。

 程なくして、「よぉ、ひろ子さん(人物名はすべて仮名)、おけいさん、おそろいだね」と言いながら男性客が入って来た。80代半ばだろうか。それから、入れ替わるように入ってくる客たちも若くて60代。まさに、老人居酒屋だ。

 それから3カ月後、筆者はすっかりその店の常連客となった。店の名は俗称「三差路」。店の立地に由来する。本当の店名は違うが俗称の方が似合っている。

 認知症かもしれないひろ子さん

 最初に三差路に入った時にいたひろ子さんは83歳だった。同居家族と折り合いが良くないようで、週に2〜3回、息抜きのために店に来る。「顔を合わせるとついついね」。無用なトラブルを避けるのが家族と同居を続けるこつらしい。

 夫は認知症で老人ホームに入っている。ひろ子さんより5歳年上で、6年前まで大手電機メーカーの下請けの事業をしていたらしい。「ぼけちゃって、もうどうしようもないのよ」と夫を評する。そのひろ子さん自身も、物忘れがかなりあるようだ。他の客もそれを十分に承知していて、最近の出来事を突っ込んで聞いたりはしない。また、同じことを何度も繰り返しても、「さっきも言ったよ」と指摘することはない。ひろ子さんは、この店のアイドル的な存在で、客は彼女が好きだし、敬意を持って、いたわっている。

 ◇精神科病院に入院していたおけいさん

 おけいさんは70歳くらいに見えたが、実は60代半ばだという。つい最近、ストーカーのような男とやっと縁が切れたようで、「今年の正月は久しぶりのシングルよ」となぜか寂しげに言う。

 ある日のお通しを見て「これ、○○病院に入院していた時の朝食に出たのと同じ」と言った。○○病院とは精神科病院だ。病名は誰も尋ねない。今も服薬を続けているのだろうか? 精神面の起伏が激しく、つい先日は酩酊(めいてい)状態になって家の前で倒れ、救急車で運ばれた。

 ◇まだまだ現役の電気屋さん

 最初の日に後から入ってきた80代半ばの男性は、現役の電気屋さんだ。店の客は皆、本名ではなく「電気屋さん」と呼ぶ。

 生産中止になった修理パーツをどこからか探し出してくるので顧客が離れない。何でも、若い頃はあの石原軍団の運転手をしていたこともあるそうで、今も財布には石原裕次郎とのツーショットの写真がしのばせてある。

 女性と飲むのが日々の活力で、初めて飲む女性には、必ずそのツーショットを見せている。男性ながら色っぽさを感じる電気屋さんは、携帯電話で女性を呼び出しては、ごちそうすることをもっぱらの趣味にする。呼び出しに応じる女性は少なくても3人はいる。繰り返すが電気屋さんは80代半ばである。

 ◇要介護状態のみち子さん

 シルバーカーを押しながら、ふうふうと息を切らしながら店に入ってくる80代前半の女性も常連だ。三差路の入り口には15センチほどの段差があり、そこを上がるのも苦労する。左足には短下肢装具。少し片まひがある。そこで、席に着くなり、マスターが「みち子さんどうぞ」とブランデーVSOPのボトルを女性客の前に置いた。当然ながら、ブランデーはメニューにはない。みち子さんだけの特別メニューなのだろう。「ニンニクの串焼きを4本ね」と豪快に頼み、ブランデーの水割りを速いピッチでぐいぐいと飲む。

 介護保険の認定を申請すれば、おそらくは要介護1か2。帰り道は登り坂。タクシーを呼ぶのを常とする。

 ◇身障者手帳1級の近藤さん

 60代後半の男性客の近藤さんは、福島県浪江町の出身だ。東日本大震災の原発事故の時、実家は浪江町にあった。今はいわき市に移り住み、懐かしの故郷に帰ることはできない。脱原発派だ。

 50歳の頃に緑内障を発症し、トラックの運転手を辞めた。運転手の仕事には誇りを持っていて、冬になると、今も当時のジャンパーを着て来る。

 運転手を辞めてからは、生活保護をしばらく受給。身体身障者手帳1級取得後は、障害年金を受給しながら、生計を立てている。

 目はかなり不自由だが、「いつもの道だから歩けるんだよ、どこに段差があるかも分かるしね」と言いながら、きょうも大好きな酒を飲んでいる。

 その他、進行性の神経難病を抱えながらおぼつかない足取りで通ってくる60代後半の女性や、昼間はデイサービス、夜は三差路という80代の男性も常連客だ。

 ◇三差路の魅力

 三差路の常連客には、要介護度の高い人はさすがにいない。しかし、要支援や軽度の要介護程度の人はごろごろいるし、すでに精神疾患や難病の診断を受けている人もいれば、受診すれば、認知症という診断名をもらう人も間違いなくいる。

 比較的軽度の利用者を対象にしたデイサービスよりも平均要介護度は上かもしれない。加えて言えば、三差路の飲み代をデイサービスの利用料(昼食代を含む)と同程度に抑えて、ケチりながら飲む客が多い。

 デイサービスと単純に比較はできないが、三差路にはかけがいのない魅力がある。その理由を思い付くままに挙げてみる。

 ▽客が歩いて通える程度の狭い地域の住民であり、何十年来の顔なじみが多い。

 ▽地域の中の人や家の栄枯盛衰を知っていて話題が尽きない。

 ▽学歴や職歴よりも、得意なことが評価の対象となる(物知り、家の修繕が得意、話題が面白い、聞き上手など)。

 ▽いわゆる「自慢話」など、聞きたくない話はすぐに話題転換の憂き目に遭う。

 ▽若い人が客になっても「同じ客」として対等であり、先輩風を吹かせない。

 ▽援助する人・される人などの恒常的な関係が存在せず、持ちつ持たれつの関係が基本である。

 ▽例え障害があっても気に留めず、さりげなく手を貸す(目の不自由な客には酒を注いだり、足の不自由な客にはタクシーまで送ったりするなど)。

 ▽酒の勢いもあり、感情をストレートに吐露できる。

 ▽酒がよそ行きの仮面を剥がし、いわゆる「タブー」についても自然に話せる。

 ▽すべての客が自分の意思で店に足を運ぶ。

 ▽来る時間や帰る時間などの管理が自分の自由意思でできる。

 時には客同士で言い合うこともあるけれど、「この店には、生々しいとまで形容できそうな、暮らしの濃いにおいがあるなあ」と、筆者はつくづく思っている。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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