認知症 認知症の人への視線を考える

コロナ禍でまん延するおびえの中で (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第1回】

 認知症が痴呆と呼ばれていた時代から30年以上にわたり、認知症の本人、家族、支援者の取材を続けてきた。そこで目撃し、確信したのは認知症の人は周囲が思っている以上に力を持っているということだ。しかし、認知症に対する無知や誤解が本人の力を黙殺し、結果として認知症の人が、より良く生きる可能性を押しつぶしている。無知や誤解は「偏見」につながる。本連載では、さまざまな角度から認知症に対する偏見を取り上げ、認知症の人が生きやすくなるための視線を考えていく。

コロナ禍では、利用者と職員のこんなスキンシップは激減した(写真はイメージです)=坂井公秋撮影

 ◇レッテルを貼る

 新型コロナウイルスの市中感染は収まる気配を見せず、介護施設では、感染対策の手綱を緩められない日々が続いている。そんな中、施設の職員は感染対策をやりにくくしている認知症の利用者に「困った人たち」とレッテルを貼る。

 「マスクをしてくれない」「動き回って困る」「面会制限の意味を理解してくれない」とぼやきながら、職員たちは「困った人たち」というレッテルを貼るのだ。実は、そのレッテルは認知症の人の「生きにくさ」につながるのだが、まずは、ぼやきが生まれる現状を考える。

 ◇感染におびえる介護施設

 介護施設の入居者は、高齢であるとともに基礎疾患があり、重症化のリスクが二重に高い人たちが多い。入居者や職員に感染が次々と広がり、10人を超える入居者が亡くなった施設も複数ある。首都圏のある施設長は「高齢者施設においては、ウィズコロナはあり得ない」と断言し、徹底した感染対策を続けている。

 具体的には、家族との同一空間での面会、外部ボランティアの受け入れ、居住スペースへの入居者・職員以外の入場、入居者の外出などを全面休止とする対策である。また、発熱するなど体調に少しでも異変のある職員は出勤停止となり、フロア間の職員の行き来は禁止、会議はすべてオンライン。ケアを行う際は、マスクと手袋のほか、必要に応じてフェイスシールド、ゴーグル、エプロン、ガウン、N95微粒子用マスクを着用する。当然ながら、職員と利用者が肌と肌で触れ合うスキンシップは、遠い過去のものとなっている。

 感染対策の内容は施設によって違いはあるが、職員同士の居酒屋などでの会食を全面禁止にしたり、他県への移動を許可制にしたり、毎日の健康および行動記録の施設への報告を義務付けたりするなど、職員のプライベートな生活にまで介入する施設も少なくない。

 ◇気を抜けない日々

 介護施設では、厳格な感染対策が日常の風景となっている。それでも、その網をくぐり抜けるように感染者が発生する。国のクラスター対策班とともに、施設内にとどまる入居者の支援に入った医師は「どんなに感染対策をしても、防げないことがあるのが実感だ」と強調する。実際、感染対策を行っている施設に新型コロナウイルスは、たやすく侵入する。

 北海道のある介護施設では、面会謝絶の中で、なぜか入居者1人が陽性となり、他の陽性者を出さずに収束した。いまだに感染経路は不明のままである。実際に陽性者を出した施設関係者の多くは「あれだけ対策を徹底していたのに…」と首をひねる。

 感染者ゼロを続けている施設でも安心はできない。首都圏のある施設長は「ここまで陽性者を出さずにきたのは、私たちが行っている感染対策が功を奏したのだと手応えを感じています。でも、だからといって対策を緩める気にはならない」と緊張感を持って話す。

 九州のある施設長は、朝礼で、職員の感染対策への努力に毎日感謝を述べるとともに「この努力を何とか継続してほしい」と言い続けている。

 「最初は、もう少しだけ頑張ってほしいと言っていたのですが、今はもう少しとは言えません」と施設長は声を曇らせる。いつまで感染対策を続ければいいのか、明確な答えを持ち合わせている人はいない。

ガラスの扉越しに行われる面会=大分県内の特別養護老人ホームで

 ◇臆病になる職員たち

 「自分が感染源になってはいけない」

 介護施設で続く感染防止の緊張感は、そこで働く職員たちを、ますます臆病にしている。

 昨年の春、職員の1人が陽性者となった首都圏のある介護施設の施設長は「あれから1年がたとうとしていますが、職員の心には、あの時の恐怖心がいまだに焼き付いています」と語る。

 その施設では事業所名を公表したのだが、感染者を特定しようしたり、感染者を出した責任を追求したりする電話が殺到したという。また、濃厚接触者でないのにもかかわらず、職員、利用者、家族に対する誹謗(ひぼう)・中傷や嫌がらせが多発し、医療機関やクリーニング店の利用を断られたり、出社や登校を拒否されたりするなど、基本的人権、いや、生存権すら脅かされる事態となったのだ。同施設では、秋に陽性者1人が再び判明したのだが、その際には公表を控えたという。

 「もう絶対に陽性者は出さない」

 強烈な思いは、トラウマと呼べるほどに職員の心に刻まれ、日々のケアを臆病なものとしている。施設長はある日、「そろそろ集団で行うレクリエーションを再開したらどうだろうか」と提案したという。ところが「まだその時期ではありません」と職員たちは拒否した。

 ◇あすはわが身か

 感染者を出していない施設でも、メディア報道などで、感染者を出した介護施設の窮状を見聞きするにつれ、「あすはわが身か」と萎縮する日々が続いている。

 窮状とは、施設や関係者に向けられる誹謗・中傷や嫌がらせだけではない。医療機関の逼迫(ひっぱく)から、入居者が感染しても入院できずに施設内での待機を余儀なくされることがあるという現状がある。職員が感染した場合には、途端にスタッフのやり繰りが困難となる。医療崩壊ならぬ介護崩壊である。だから「感染者を出したら負け」といった風潮も生まれる。

 ◇「困った人たち」である認知症利用者

 冒頭に紹介した認知症の利用者に対する職員たちのぼやきは、そうした現状の中で、自然と湧き出るものだろう。感染対策の面から見れば、マスクをしないから、動き回るから、現状を理解してくれないから、まさに「困った人たち」なのだ。

 次回は「困った人たち」とされる認知症の人たちが、どのような日常生活を送っているのかを具体的に挙げながら、困っているのは、実は認知症の人たちであることを紹介する。(了)

佐賀由彦さん


 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。


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