『薬に頼らず対話によって病気を治す本』出版までの道のり。出版不況下に出版社を立ち上げてでも、本を出したかった理由

画像:神戸港がモデルのカバー。著者は神戸大学のヨット部に所属し、

神戸で開業するなど神戸と縁が深い。モザイク出版の地元・横浜では

「横浜港?」とよく聞かれる。下記帯なしバージョンも参照



モザイク出版」(神奈川県横浜市)は、編集事務所「オフィス・モザイク」(合同会社モザイク)から枝分かれするようにして生まれた出版社です。


オフィス・モザイクでは、書籍、雑誌、ムック、パンフレットなど、おもに紙媒体の編集制作を25年以上行ってきました。編集事務所のスタッフが、薬に頼らず対話によって病気を治す本を出版するために、自ら代表になって「ひとり出版社」を立ち上げた理由を、モザイク出版 代表・伊藤明子がお伝えします。

きっかけは「薬を使わない医療」への疑いと好奇心。出版不況下、新規参入の出版社が新しい著者で挑戦

今、みなさんは以前に比べて、どのくらい紙の本を買われていますか?

紙の本の売上は、1996年をピークに下降の一途をたどり、長らく「出版不況」と言われてきました。2023 年の紙の出版物の推定販売金額は前年比 6.0%減の 1 兆 612 億円。需要減や長引く戦争等による原材料の高騰が加わり、出版業界はさらなる苦境を強いられています。


そのような状況下で、新規参入の出版社があえて紙の本を出すというのは、傍から見れば無謀かもしれません。しかも、著者にとってはこれが初の著作です。


それでも、笠木伸平医師を著者に立てて「薬を使わない医療」に焦点を当てた本を世に送りだそうと思ったのは、その本を必要とする人がきっといるはずだ、と直感したからです。


著者のことは、伊藤が地元・横浜市で社会活動に携わるなかで知りました。その場にいた、著者に詳しい人に聞いたところによると、本当に薬を極力使わずカウンセリングを中心とした診療を行っている内科医だというのです。「そんなことが可能なのか」と半信半疑でしたが、一方で好奇心もわきました。


画像:著者の笠木伸平医師と

出版リスクを背負う覚悟の背景にあるもの。原因不明の不調に悩まされた子ども時代

薬を使わない医療に興味を持った理由として、伊藤が妊娠を機に、薬や食品添加物をより避けるようになったから、というのがあります。しかし、出版リスクを背負ってまで本を出す覚悟を決めた裏には、幼少期からの経験に基づく深い理由がありました。以下は、出版後、その時々に会う人から質問されるなかで、だんだん言語化できるようになった深い理由です。


小さい頃から「自家中毒」と呼ばれる原因不明の不調に悩まされ、様々な病院を転々としてきました。成長するにつれ、具合が悪くなる頻度は大分減ったとはいえ、いわば常に健康と病気の間の「未病」状態、自分に対して健康のイメージを持ちにくかったことに変わりありませんでした。


そんな自分が健康に自信を持てるようになった出来事がありました。

一つは、出産で入院した際、助産師に身体の回復スピードが速いと驚かれたこと。もう一つは、心身の不調が続き、検査を受けた病院で、「むしろ血液はきれい」と医師に褒められたことです。

因果関係はわかりませんが、服薬や添加物を極力避けてきたことがよかったのかもしれません。


それとは別に、身近な人たちを見ていて、感じることもあります。

慢性的な病気とは、子どもの頃からの環境であり、そこで身につけた思考なのだ、ということです。本人たちも薄々わかっていて、それでも治らないのです。


他人のことだと客観的になれるものです。そこから翻って自分のことを振り返りますと、伊藤の子ども時代にも、単に体質だけに還元しきれない不調の原因があるような気がしてきました。しかし、これらには当然のことながらエビデンスがあるわけではありません。


こういった、医学的要因以外の因果関係は存在するのか、是非、薬を極力使わず対話によって心理的アプローチをする笠木医師の立場から、伝えてもらいたいと思いました。

精神科医療ではすでに取り入れられつつある、薬物よりも「対話」を重視した治療

精神医学の領域では、「オープンダイアローグ」という対話を取り入れた包括的治療法が注目されています。この取組みは、1980年代にフィンランドで始まり、一定の成果を上げてきました。日本でも精神科医の斉藤環氏が紹介するなどして、一部の医療機関で導入されています。


偶然かどうかはともかく、笠木医師のように内科医のなかにも対話を重視した診療を行おうとしている人が現われたことは、対症療法、薬物療法が中心の西洋医学がある種の限界に直面していることの、また一つの証を見たような思いでした。


病院を転々としたり、処方される何種類もの薬、あるいは予防注射に疑問や不安を感じたりしている人も増えてきています。そのような生活や不安から解放され、より楽な生き方、好きなことができる自分らしい生き方、そして減薬や医療費削減のヒントまでが本書によって提案できるのではないかと考えました。


何よりも薬や添加物を避けたい、自分や身近な人たちの不調を何とかしたい、と願う伊藤本人が一番読みたかったのです。


画像:代表の趣味である野外ヨガも思わぬ縁に繋がった

秘かに「縁」を感じた神戸出張。著者のクリニック近くに「MOSAIC」の看板を発見!

伊藤は編集事務所のスタッフだったので、本の中身は制作しても、出版するのは出版社です。A社のZ編集長から企画に対する好感触を得て、著者の笠木医師に会いに、横浜から神戸のクリニックを訪れたのは、2019年の11月。事前にリスト化してあった疑問や懸念事項をすべてぶつけたところ、手応えのある答えが返ってきて、著者になる了承もとりつけました。

この時点ですでに「対話」というキーワードが浮かんできました。


神戸への出張で、本が完成するまで言うまい、と決めたことがあります。

神戸と横浜とでは、似たような施設が多いなど共通点が豊富。また著者のクリニック近くには、「MOSAIC(モザイク)」という名の商業施設がありました。この本を手がけるのは、伊藤が代表を務める、横浜市のモザイク出版(当初はオフィス・モザイク)。これだけで、「この旅はきっと何かものになる」と勝手に「縁」を感じました。

書籍の表紙カバーは、この出張で伊藤が抱いた神戸のイメージが元になっています。


画像:著者のクリニック近くの神戸港を望む。

観覧車隣のビルを挟んで「MOSAIC」という電光掲示板の文字が見える


横浜に戻って急いで企画書を書き、A社のZ編集長に提出、打合せも済ませました。ところがそこから難航しました。一度目の企画会議では不採用。Z編集長は、出張で東京に来た笠木医師と会い、企画書を練り直して二度目の会議にもかけてくれたのですが、結果は同じく不採用。後で聞いたところによると、決定権を持つ健康マニアの社長が「医者が患者の話を聞くわけがない」と反対したということです。


他にも企画に興味を示してくれる出版社があったのですが、その頃、新型コロナウイルスが日本でも拡がり始めて、企業や店舗が一斉に営業縮小や休業をするようになりました。新企画どころの話ではなく、何となく打合せに持ち込みづらい雰囲気でした。

最初は出版社を立ち上げるつもりはなかった。コロナ禍をきっかけに、忘れていたかつての夢がよみがえる

未知のウイルスに人々が怯え、先が読めない状況のなか、このまま企画が消えてもおかしくありません。コロナを理由に、ここで幕引きをはかることもできました。しかし、話がここまで進んで終わりにするのはあまりにも惜しい、それにすでにたくさんサンプル原稿を書いてもらっている著者に対して、申し訳ないという気持ちもありました。


「自分のところで出版したらどうか」――いつからかそのように考えるようになりました。そういえば、伊藤は今から10数年前に、一度出版社を立ち上げようとしたことを思い出しました。当時は周囲の大反対にあい、そのうち心身を患って諦めたことを、なぜかずっと忘れていました。


とはいえ、今さら一歩踏み出す勇気がありませんでした。出版社勤務時代から、初版6000、7000部の世界で生きてきたので、一度刷って何百万円も飛ぶことに神経が耐えられそうもありませんでした。

「小さな一歩なら自分でも踏み出せる」地縁が与えてくれた、ささやかな勇気

その頃、伊藤は神奈川県の長谷川書店という老舗書店で、読書会(書評哲学カフェ)を時々開いていました。ある日、打合せに行くと、県内のB 出版社代表Yさんが遊びに来ているのに居合わせました。とっさに店主に紹介してくれるようお願いし、後日改めて日を設定し会ってもらいました。


B社がどのように出版社を経営しているのか、制作のこと、営業や流通のこと、入金のタイミングなど、具体的な数字を聞くことは遠慮してしまった部分も多いですが、出版社を立ち上げたからといって、毎月とか、3ヶ月に1冊とか出さなくても問題なさそうなこと、一般書でも初版数百部からの世界があることを知りました。


実は10数年前に出版社を立ち上げようと思い立った時にも、別の出版社C社に相談したことがあります。その時は、W代表から「お金は数百万あったくらいでは足りない」、「C社はずっと赤字続きだ」とか、いかに経営が大変かということを聞かされました。


ところが、B社の代表Yさんの話を聞いて、それとはまた違ったイメージを経営に対して持ち始めたのです。C社はその後、累積赤字を理由に廃業していたので、今の時代でも相変わらずリスクの高い商売であることに変わりはないのですが、Yさんと話をしているうちに、小さな一歩なら自分でも踏み出せるかも、という気になってきました。


何よりも共感したのが、Yさんが出版社を立ち上げたいきさつです。

Yさんは懇意にしている編集部に、ある企画を出し、トントン拍子に話が進んだものの、最後の段階で営業からストップがかかってしまいました。すでに著者には制作準備にとりかかってもらっていたそうで、やはり「著者に申し訳ない」という気持ちもあって自分で出版社を立ち上げ、自分のところから本を出したというのです! (その後、その本は順調に版を重ねているようです)

似たような経緯を聞き、「そんな理由でもいいのか」と妙に安心してしまいました。


画像:神奈川県の老舗・長谷川書店で時々読書会(書評哲学カフェ)を開いていた


今回、出版社を立ち上げるにあたって、もう1人相談した人がいます。同じく神奈川県にあるD出版社を経営しているVさんです。地元のヨガ仲間UさんがD社の系列会社で働いていた縁で紹介してもらい、3人でD社近くの居酒屋で話をました。


Vさんからは、小出版社なりの企画の立て方や部数との関係など、より実務的なことを教わりました。またVさんには、いきなり出版取次(卸業者)と契約するのではなく、他社の名義を借りて販売することを勧められましたが、伊藤は取次との直接契約にこだわってしまいました。それが賢い選択だったのか、今の段階ではまだわかりませんが。


一番印象に残っているVさんの言葉があります。それは、伊藤が自嘲気味に「(出版不況だから)もうこれ以上、出版社増やすな!って感じですよね」と言った時のことです。数秒たって返ってきたのは「消えていく出版社もあるから」という答え。これで一気に心が軽くなりました。


画像:地元のヨガ仲間に紹介してもらい、

神奈川県の出版社社長に教えを乞う

いつ計画が頓挫しても不思議でない紆余曲折のなか、縁に導かれるようにして撤退の誘惑をも乗り越える

さて、出版社を立ち上げて、「自分のところで本を出す!」方向にやっと舵を切ったのはいいのですが、残る懸案は著者です。


最初に企画を持っていったA社は、ベストセラーをいくつも抱え、知名度も抜群。そこから出せればある程度は売れ、それなりの著者印税も見込めるでしょう。比してこれから立ち上げようという知名度もなければ、宣伝力も販売力もまだないモザイク出版から出すことを、果たして著者は承諾してくれるでしょうか?


著者が東京出張の時をとらえて時間を作ってもらい、まずこれまでの自分の力不足を詫びて、今後の考えを伝えました。


銀座のカフェで、最終的に返ってきた答えはYes。今となってはどんなやり取りをしたのかよく覚えていません。ただ真摯に向き合い、誠実であり続けることだけが、ないないづくしの伊藤にできるすべてでした。

時は2021年6月。最初に著者と会ってから1年半を経た、改めての説得でした。


その年の夏、東京オリンピックが開催されることが決定していました。著者はセーリング部門の競技委員を務めることになっていたので、それまでは書ける時に書いてもらい、翌年中に本を出せればという算段でした。そして翌年2022年秋には、いよいよ社名を決めて出版社登録。取次とも契約を交わしました。


画像:メニューに惹かれて朝から勢いで注文してしまった

一見場違いなスイーツを前に、

上京した著者を改めて説得。これで出版社を設立することが決まった  



ところが著者にコロナ後遺症が現れ、原稿が完全にストップ。年内刊行は諦め、「待つ」ほかありませんでした。企画立ち上げ直後から自社刊行を決意するまで、さんざん著者を待たせてしまったので、今度はこちらが待つ番でした。


紆余曲折はまだ続きます。著者がコロナ後遺症からようやく回復し、何とか執筆を再開したのはいいのですが、今度は研究施設に「転職」することになったのです。もともと著者は医学博士で米国国立衛生研究所に在籍していたこともあるので、研究者としてのキャリアを再開できるのは編集者としても喜ばしいのですが、それは今後、患者を診ないことを意味しました。


結局は、研究所にも診療所を併設することになり、以後、保険外診療のみにはなってしまいますが、最低限、希望する患者がアクセスできる道は確保されました。

ただ職場が神戸から京都に移るということで、そのうち原稿もまた途絶えてしまいました。


原稿が止まるたびに、オンラインで面談し、著者が東京出張の際には会う機会を設け、何か困り事がないか聴き、こちらで工夫できることがあれば提案し、あとは待ちました。


著者も不安だったと思うのです、設立したばかりの実績のない出版社に原稿を送り続けて、果たして自分の本が出るのか、印税は払ってもらえるのかと。その点は著者の楽観的性格ゆえなのかもしれませんが、長きにわたってお付き合いいただき、感謝しなければなりません。


しかし、どの段階でも、どちらか一方の意思で、出版が立ち消えになる可能性はありました。ここで撤退すれば、リスクを負うことはなくなるし、伊藤にとっては決して少なくない額の制作費を節約できる・・・正直に言えば、そういう誘惑もありました。

実際、売れた著書を持つ人であっても、有名な出版社から出る予定だった本が、途中で立ち消えになるケースを何度も見てきました。


それを考えると、モザイク出版として本が出せたのは、やはり神戸を訪れた際に「MOSAIC」の看板を見て「この旅はきっと何かものになる」と感じた縁が、最後まで導いてくれたのだと、これも勝手に解釈しています。


画像:目次の一部。内容を症状別に分け、それぞれに「医学的説明」「心理的要因」「回復へのアドバイス」をつけた。本の構成に悩んでいた頃、

友人知人との交流を通じて偶然ヒントを得た


制作中は、友人知人との交流がヒントとなり、またそれが原動力ともなりました。友人知人が読んだらどう感じるだろうか、ひとりひとり顔を思い浮かべながら、手探りで進めていきました。

表紙の制作で、再び「地縁」の恩恵を受ける。もう「ローカル」であることを気にしない

2023年8月、ようやく本にできる目処が立ちました。この段階で、編集事務所として長年関わりがあり、信頼もあるSPAISの熊谷昭典さんにデザインを依頼、印刷会社からは見積もりをとりました。


印刷会社が決まり、スケジュールを組んでもらった頃、イラストレーターに装画を発注。イラストレーターは横浜市青葉区在住の西陰志保さんで、初めて地元の人と一緒に本の仕事ができました。


なぜこのようなことをわざわざ強調するのかというと、実は、出版業界で関わる人や会社はほぼ都心に集中していることで、東京から横浜市に移転したことを全く気にしていなかったといえば、ウソになるからです。大抵のことはインターネットで済ませられる時代になりましたが、不便がないかと聞かれれば、やはり「ローカル」に拠点を置いているという意味では不便です。


でも悪いことばかりではありませんでした。先ほども「地縁」の話をしましたが、地元で知り合った、花のビジネスをしている人のロゴイラストを描いたのが西陰さん。本のカバーのイメージが決まった時、そのイラストを思い出しました。


イラストレーターに連絡をとると、地元在住というので、すんなり対面での打合せが実現しました。西陰さんは仕事で神戸に行ったことがあるそうで、さらに伝えた表紙カバーのイメージ―――「フランスの古い紙チラシ」風という、ややマニアックな画風も好みらしく、なおさら話はスムーズに進みました。


まさに地元だからこそ繋がれた縁。笠木医師とのことも、伊藤が地元で社会活動をしていなければ、繋がることのない縁だったかもしれません。


画像:表紙カバー。赤い帯をとるとヨットの船体が現れる仕掛けになっている。

「フランスの古い紙チラシ」のイメージから、色はトリコロール(3色)に指定。

トップ画像も参照

マニュアル本には書いていないことでいくつかの失敗。そこから痛感した出版を支える様々な人たちの存在、労力

さて、この頃から、複数のマニュアル本を読んでも知りえなかった流通や営業・宣伝上の盲点に気づかされ、いくつかの作業が後手に回ってしまいました。なかには、痛恨の極みというべきこともありました。


同時に「出版社時代、編集以外は全部別の部署の人たちに支えられていたのだ」ということも痛感しました。これは、ともすると深夜労働や休日稼働になりがちな余裕のない当時は気づけないことでした。


編集作業、取次とのやりとり、営業・宣伝を並行させながら、なんとか予定より3日遅れで発売に漕ぎ着けました。著者に初めて会いに神戸に行ってから、すでに4年の歳月が流れていました。

発売時Amazon第2位となるも「想定外」の事態が発生。リアル書店が生き残るヒントがそこに

ありがたいことに、『薬に頼らず対話によって病気を治す本』は、ネット書店「Amazon」で第2位にランクインしました(11月27日、12月18日時点、伝統医学・東洋医学)。


しかし、ここで想定外の事態が発生。なんとお届け日が12月19日の時点で、年明けの1月7日~2月14日となっていたのです! 確実に出荷しているはずなのに、なぜこのようなことが?! せっかく予約してくれたお客さんに申し訳ない、予約をキャンセルされたらどうしよう、また新たな販売機会をも失うかもしれず、新しい出版社だからと信頼されなくなってしまう・・・もう訳がわからず頭を抱える日々でした。


画像:発売翌日12/19のAmazonでの販売状況。配達日がおかしなことになっていた。

「その他5件」の出品では、定価の2倍以上の5,500円の価格がついているものも!



その間、Amazonの問合せ窓口をいくら探しても見つからず、取次や出版関連団体に相談すると、結論は「正常になるのを待つしかない」「今の時点でどうしようもない」という回答。


複数の話を総合すると、今回、流通において「交通渋滞」を起こしており、Amazon倉庫にまだ商品が入っていないのではないか、とのことでした。数日で出荷日が正常に落ちついてきたものの、当然ながら、著者の周辺からは、新刊が届くのが遅かった、と不満の声が上がりました。一度Amazonという巨大システムに乗ってしまうと、そう簡単には変えられないことを思い知りました。


このことも、マニュアル本には書かれていなかった流通上の盲点でした。発売時期に関しては戦略を練ったつもりでしたが、まだ考えが足りていませんでした。


書店が経営不振に陥る原因の一つに、Amazonに代表されるネット書店の存在が指摘されています。しかし、今回の新刊の場合、Amazonでよりもリアル書店での方が先に入手できるという逆転現象が起きました。リアル書店が生き残る戦略が、もしかしたらそこにあるのではないかと今も考え続けています。


画像:地元・横浜市の書店での展開の様子。

POPは代表がパソコンで作って印刷したものに、別の手書きPOPを重ねた

読者の声~手に取ってくれた方の「一家に一冊」となることを願って

以上、本格的に制作に入ってからちょうど1年経ったのを機に、これまでの経緯を「ストーリー」にまとめてみました。


以下は、読者から直接・間接に届いた感想、SNSやブログ等に綴られた感想の一部です:


  • 「ストレスを感じると、頭が痛くなったり、胃腸の調子が悪くなったりするのですが、自分の心と身体と対話して、そのように自分を攻撃することは、自分にとって不利益だよね、ということで、やめる選択をしました」(30代 女性)


  • 「スピリチュアル系の人が同じことを言っていても、西洋医学の医師が書いたこちらの本の方を読者は信頼して買うでしょう。感情日記が巻末にあるのもよかった」

(50代 女性)


  • 「あちこち検査したのですが、病巣が特定できないため診断が下らず、今もってだましだまし服薬もせず何とかやっている状態です。そのため、内容的にはいくつもの章に関心を持て、頷ける箇所も多かったです。〔・・・〕西洋医療に限らず、東洋医学の本でも、やたらとストレスや生活習慣に帰結させて済ませてしまうきらいがあって、そこを乗り越えて欲しいと感じていたところ、その端緒を開いてくれた一冊

(50代 男性)    


  • 病は気から。と言われるけれども、気とは感情だったのかな?と感じました。〔・・・〕自分で自分を攻撃している事に気付かされる本でした。感情と体は別々ではなく、まさしく一心同体。」(Amazon購入者レビュー)


  • 薬を否定しているようにも読めるタイトルですが、決してそういう本ではないです。〔・・・〕非科学的なアプローチが出てくると拒絶反応を引き起こしてしまう私が<はじめに>を読んでそのまま引き込まれてしまいました西洋医学と東洋医学という線引きではなく、もっと俯瞰している感じがとても新鮮」(Amazon購入者レビュー)


  • 「病名に対して、医学的要因、心理的要因、回復へのアドバイスがあり、一家に一冊置いておきたい本です。対話によって、根本的な原因を探るのは、医療費が膨れ上がる日本の課題を解決する1番の方法です。」(Amazon購入者レビュー)


  • 「本のタイトルは『病気を治す』で、それがテーマではあるのですが、心理面からの解説の中には、より良い人生を生きるためのヒントや自己実現のためのヒントが散りばめられているように感じました。」(Facebook)


  • (治療)後どう向き合えばいいのか、この本を読んで、マインド的な面で色々考えさせられています。〔・・・〕健康オタクになる気はないけど、内面が無法地帯なのは気に食わない。なかなか健康に向き合う気にはならなかったけど、この本を読んで考えを改めようと思った。いやそもそも、健康ってなんだ?「感情日記」つけてみよう。」(Facebook)


  • 「あ〜私もガンになった時、こんな風に治療をしていきたいと望んでいました。〔・・・〕(がん細胞が)自ら買ってでて汚れていくって、なんか泣けてきます。〔・・・〕(この本にあるように)押さえ込んでしまい解放できなかった感情に寄り添い、体から表出してあげること。この行為ががんの回復にとても大きかったように思うのです。あとは、お医者さまから言われたことはあくまでもアドバイスのひとつとして受け入れ、がんを治すのは自分自身と思っていたことも大きかったと思います。そのことからテレビや他人から聞かされた情報だけではなく、自分の体と心と対話する生活にシフトしていきました。(Amebaブログ)


どれも読者の皆さまに本書のメッセージがしっかりと届いている、と伝わってくる内容でした。


さらに多くの方々が『薬に頼らず対話によって病気を治す本』を手にとられ、「家庭の医学」のように傍らに置いていただけることを願っています。


画像:発売半年後の2024年6月には、出版社7社合同のブックフェアに出店。

装画を担当した西陰志保さんは同じブースでオリジナルイラストの雑貨を販売。葉書は書籍購入者へのプレゼントにもあてる。大東京綜合卸売センター(府中市)にて

編集の原点に立ち返って。著者や制作者としっかり向き合う、丁寧な本作りを心がけ、多くの必要な人に届けたい

「私、諦めませんので」

―――10数年前のあの時、出版社の経営がいかに赤字続きで大変かを説くC出版社のW代表に言ったセリフ。お礼の挨拶と一緒に、なぜか口をついて出てしまった言葉です。

しばらくは、言ってしまったことに気恥ずかしさを覚えたままでしたが、今となっては、その言葉がまだ生きていたことに驚いている自分がいます。

それもこれも、不運を含めた様々な偶然や縁が重なったおかげだと思っています。


せっかく作った出版社、もちろん今後も続けていくつもりです。

効率重視で編集者が忘れかけている、著者や制作者としっかり向き合い丁寧に本を作っていくことを、これからも実践していきたいと思っています。理想論を言っているのかもしれません。しかし、そういう本との関わり方でないと、何のためにこの仕事に就いたのか、わからなくなってしまうのです。


自分自身がお金を払ってでも読みたいと思える本、届けたいと思う人たちがいる本を作っていきたいというのは、一方で、とても勇気のいることですが、大切にしていきたい方針であり、また私の生き方でもあります。



■書籍詳細

『薬に頼らず対話によって病気を治す本』

https://www.officemosaiccreative.com/post/__nb2

【著者】笠木伸平 (医学博士・内科医)

【発売】2023年12月18日

【定価】2,200円(本体2,000円+税)

【体裁】A5判 並製 224頁

【取扱】 地方・小出版流通センター 

*直接取引がない場合は、トーハン・日販等経由で出荷

【発行・販売】モザイク出版

【ISBN】978-4-9912902-0-6 C0077

【内容】

患者との「対話」によって、身体のみでなく「心」も診る内科医が目指す減薬・脱薬漬け医療で体験できる内容。

西洋医学出身の内科医が書いたものでありながら、医学的解説は必要最低限にとどめ、心理面に多くのページを割く。データ一辺倒のエビデンスのみでなく、長年患者に接してきた著者の臨床経験が生きている。「体質だから」「今までいろいろ試したけれど無理だったから」と諦めていたことに再び希望が持てるような、自己啓発書的側面も備えている。

■著者プロフィール 

笠木 伸平 (カサギ シンペイ)

*インターネット上に著者の偽サイトがありますのでご注意ください。


医学博士・内科医。兵庫県芦屋市生まれ、西宮市育ち。

西洋医学に東洋医学、栄養学、心理学等を組み合わせた医療を提供。

中高一貫校である洛南高等学校(京都)卒業。神戸大学医学部を経て、神戸大学大学院医学系研究博士課程修了。

2011年から3年間、米国国立衛生研究所に特別研究員として在籍。帰国後は神戸大学医学部付属病院検査部副部長を務める。

2018年~2023年、みなと元町内科クリニック院長(神戸)。2023年より笠木ウェルネスクリニック院長(京都)として研究の傍ら、予約制で自由診療も行う。

大学時代からヨットを始め、東京オリンピック2020では、神奈川県藤沢市にてセーリング部門の競技役員を務める。

「週刊女性PRIME」「ハルメク」等記事監修


■モザイク出版

業歴25年以上の編集事務所「オフィス・モザイク(合同会社モザイク)」から

枝分かれするようにして生まれた神奈川県横浜市にある「ひとり出版社」。

2023年12月に出版した書籍『薬に頼らず対話によって病気を治す本』(笠木伸平著)が第一作目となる。

https://www.officemosaiccreative.com





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