Dr.純子のメディカルサロン
水車でJAZZを奏でる不思議
バラバラだったことが50代で一つになった ジャズ演奏家・岡淳さん
演奏会の前に準備をする岡さん
◇カンパや助成金で
海原 費用や水車製作の時間はどうやって作り出すんですか。多くの方が一緒に力を合わせての作業になりますね。
岡 製作にかかる費用は応援してくださる人たちからのカンパを資金にさせていただいています。岩手県一関市の「地域おこし事業」助成金も昨年までいただいていました。クラウドファンディングを活用したこともあります。
僕は仕事の合間を縫って岩手に行き作業をしています。そのために昨年から空き家をお借りして工房としています。協力してくださる皆さんも、仕事の合間にボランティアで時間を割いてくださっています。
海原 水車音楽祭は第1回を一関市で開いてから、毎年定期的に開催していますが、一関が中心ですね。
岡 この地域とは、まだ市町村合併で一関市になる前からご縁があり、ライブツアーや、地元の子供たちとのコンサートなど、さまざまな活動をさせていただいていました。震災後は沿岸被災地での演奏活動「ジャズフォー東北」に関わる中で、ますますご縁が深まり広がって、この地域で音楽水車をという話につながっていったんです。
◇「田舎」に強い憧れ
海原 今は愛媛県でも水車音楽祭を行い、海外にもこうした活動を広げていますね。岡さんにしかできない活動、音楽で、素敵だなあと思っています。ジャズを知らない人も子供も老人も楽しめるという活動は、どうしてできるのか。その背景を伺いたいです。
「水車でJAZZ」演奏会。ステージでサクソフォンを演奏する白色シャツの男性が岡さん。
岡 僕は都会育ちで、子供の頃から「田舎」というものに強い憧れがありました。古い民具や農機具を見ると、「萌え」な気持ちになります。そしてティーンエージャーの頃は自転車を分解したり組み立てたりしていましたから、歯車や機械にはもともと興味があったんだと思います。
学生時代からは「環境」「自然エネルギー」「地域」といったことに関心を持ってきました。もちろん音楽には少年の頃から今に至るまでずっと夢中です。それらバラバラだったこと全てが50代になった今、「音楽水車」という形で一つにまとまったような気がします。
そういった意味では、自分にしかできないことなのかもしれません。自分が好きなことのいろいろが結実したことは、自分にとって楽しいのは当たり前ですが、たくさんの方が楽しさを感じてくださるのは、ちょっと不思議でもありますが、とても嬉しいことです。
◇日本人が置き去りにしてきたもの
海原 都会と田舎の間を行き来しての生活で、感じることなどを教えてください。
岡 昨年の秋から「とびがもり水車音楽祭」の地元(一関市)に空き家となっていた家を借り、納屋を工房として制作の拠点としています。
その家で近所のおじさんたちと飲みながら聞く昔の話、納屋にある古い道具や農機具、家のあちこちに残された改築や修繕の痕跡、そういった全てのものからたくさんのインスピレーションをもらっています。
近代化や経済成長の中で私たち日本人が置き去りにしてきたものが、田舎にはまだかろうじて残っている。そこから何かを感じ取ることで、未来に向けた新しい景色が見えてくるんじゃないかと感じています。
岡氏
岡淳(おか・まこと)
11歳からフルートを習い、16歳からテナーサックスを独学。一橋大学在学中にジャズシーンにデビュー。1990年に米国ボストンのバークリー音楽大学より奨学金を得て渡米。2年間学んだ後、ニューヨークで武者修行。帰国後、酒井俊、綾戸智絵らのバンドやセッションで演奏。akiko、平井堅、八代亜紀らのレコーディングに参加する。
現在はサキソフォビア、久米雅之5などのメンバー。レーベル「MOCK HILL RECORDS」から多彩なアーティストの作品をリリースする一方、2013年に「音楽水車プロジェクト」を立ち上げ、音楽を奏でる水車の制作に取り組んでいる。
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(2018/12/21 06:00)