一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏
(第2回)「赤ひげ」見て医師志す=競技ダンスで北海道王者
石部氏が医師になろうと思ったのは、高校3年生 の時に黒沢明監督の映画『赤ひげ』をリバイバルで観たのがきっかけだった。
「加山雄三が演ずる主人公の青年、保本登に完璧に自分を重ね合わせていましたね。赤ひげ役の三船敏郎も、医療は一流 、おまけに武術も一流、どっしりと構えていて、医者という職業が格好いいなと思いました」
主人公の妻となる女性を演じた内藤洋子に将来の自分の妻の姿を重ね、「立派なドクターに弟子入りして人を助け、家に帰ったら、清楚(せいそ)でうつむき加減の内藤洋子のような人が待っている、というのに憧れましたね」と笑う。
◇工学部か医学部か
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の影響で宇宙工学にも興味があったが、北大には宇宙工学の講座 がなかった。工学部か、医学部か―。決めかねて父親に相談すると、「1回だけ医学部を受けてみたら。でも難しいから落ちても仕方ない。浪人したら工学部にしたらどうだ」とアドバイスされた。進路も含め自分のことで親に相談を持ち掛けたのは、これが最初で最後だったという。
高校時代は、学校から帰ると銭湯へ行き、帰って夕食を取った後はスケジュール通りに勉強する。時間がもったいないからと、部活には入らなかった。友達付き合いもせず、当時全盛期だった喫茶店に行くこともなかった。
「すぐには成績に結び付かず、高校の1~2年は450人中100番 台くらい。それでもコツコツ続けていくと、高校3年で突然10番以内に入って、卒業する頃には1、2番を争うくらいでした」
北大医学部の合格発表は当時、テレビで北大の校歌をBGMに合格者の受験番号が放映された。石部氏は自宅のテレビで確認したが、父親は大学へと足を運んだ。
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(2017/04/28 15:07)