一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏

(第2回)「赤ひげ」見て医師志す=競技ダンスで北海道王者

 ◇父のひそかな思い

 「『合格してたぞ』と喜んで帰ってきた父の姿は今でもよく覚えています。勉強しろとも医者になれとも何もいわない父でしたが、医学部に行ってほしいとひそかに思っていたのかもしれません」

 医学部に入った後、父親の会社は東京支店を切りはなして規模を縮小する再建計画が軌道に乗り、念願の風呂付きのマンションに引っ越すことができた。

 「もし高校の時に会社が持ち直していたら、勉強するモチベーションを保てなかったかもしれない」と石部氏。何が幸いするかは、後になってみないと分からないものだ。

 ◇大学では生活一変

 もともとスケジュール通りの勉強生活は大学入学までと決めていたこともあって、大学での石部氏の日々は一変する。MGMミュージカルの名作を集めた『ザッツ・エンターテイメント』という映画の影響で、大学の全学部共通の社交ダンス部に入部。部の練習がない日は、ダンススタジオでレッスンプロについて練習した。

 「競技ダンスの大会があるので、コツコツ練習しました。もうイメージは加山雄三の『若大将』ですよ。最終的にはアマチュアの大会で北海道のチャンピオンになりました」

 ダンスのパートナーが、そのままプライベートでもカップルになるケースも多かった。しかし、石部氏は「あくまでもフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのようにダンスだけの関係にとどめ 、プライベートで付き合うのはよそうと思いました」と話す。

 「女性から好きです、と言われたのは、小学校3年生の時の1回だけですね。同級生の女子を周りの生徒が冷やかして『お前、石部のこと好きなんだろう』というと『好きよ』って。僕は何も言えずに下を向いていて。それで僕の花形時代は一瞬で終わりました」

(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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