一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏

(第5回)知らないうちに父の保証人=3億円の負債抱え込む

 「いつも僕は運がいいなと思うんです」。米国医療機器メーカーの日本法人が、父の会社を負債ごと買収するという話が舞い込んだからだ。「僕は詐欺に遭っているんだと思いました」と言う。

 医師とはいえ、当時はまだ年間手術数も100件程度にとどまり、クリニックも開業していなかった。援助を申し出た人は、石部氏の将来性を見抜いたのかもしれない。

 ◇父への畏敬の念

 「毎晩、仕事が終わると実家に行って、今後のことを話し合いました。会社を売却するために、両親の印鑑登録をしに市役所に連れていったり、書類を書いたり、いろいろと大変でした。1日遅ければ不渡り手形を出して倒産するところだったんです」

 父は会社が救われてから3カ月後に亡くなった。母が朝、息をしていないことに気付いたという。

 「父にはさんざん振り回されてきましたが、だからといって、父を嫌いだと思ったことはありません」

 あまり話すことがなかった父。でも、石部氏は本質的なところで畏敬の念を抱いていた。

 「父は昭和2年(1927年)生まれで16歳のときに志願して陸軍少年飛行兵になりました。父親が早く死んで母子家庭だったので生活が厳しく、軍隊に入るしかなかった。戦争が長引けば、特攻隊として出撃していたかもしれない、生きて帰れない覚悟はしていたと聞きました。僕には絶対できないと思うから」

 亡くなる前の日、『俺はもう疲れたよ』とつぶやいた父の姿が今でも心に残っている。

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


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