一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督

(第4回)野球観変えたオリンピック
学生で一人、日本代表参加


 1992年、日本代表の一員として遠征したキューバでの経験は忘れられない。

 「まさに『衝撃』でした。実は、キューバの内野守備を見て、日本のプロ野球は大したことないなと思ってしまいました。彼らの方が、すごくうまかった」

五輪代表の経験を糧に活躍した小久保さんのソフトバンク時代
 バルセロナオリンピックで野球は公式競技に採用された。アマチュアの最強チームとして君臨してきたキューバが野球に初参加し、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。リナレス、キンデラン、グリエルという世界的に有名な打線の主軸が活躍し、他国チームに圧勝した。

 「強打を誇ったキンデランが全盛期の時でした。セカンドにパチェコ、ショートにメサがいて。守備練習のシートノックを見ていて、『これはシートノックだけでお金が取れる』と思いました。ボールって、あんなに柔らかく、しかも強く操ることができるのですね。当時は、まだ亡命する選手も少なかったので、その時のキューバのメンバーは最強でした。世界って広いなあ、と感じたのです」

 バルセロナオリンピックに参加した時に、キューバ野球と同じくらい小久保さんの野球観を変えてくれたのは、当時の日本代表のメンバー、つまり小久保選手以外の19人の社会人野球の選手たちだった。

 「社会人の方たちの野球にかけるひたむきさや真面目さに接して、大学野球で親から金をもらいながら僕たちのやっていることはまだまだ甘いなと感じました。日本代表の監督が住友金属(当時)の山中正竹さんでしたから、そうだったのかもしれません。きちんとミーティングもされるし、厳しい。何が何でも金メダルを取る。それを目指して進んで行ったチームでした」

 オリンピックでは予選リーグで本塁打2本、米国を破って銅メダルを獲得した試合では4打数2安打2打点と活躍した。何よりも大きかったのは、新たな野球観を学んだことだろう。

 「日本代表から戻ってきて、プレースタイルが変わったな」。母校、青山学大学の河原井監督が、小久保さんに声を掛けた。(ジャーナリスト/横井弘海)


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一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督