「医」の最前線 「新型コロナ流行」の本質~歴史地理の視点で読み解く~
新型コロナ時代に求められる「地理医学」とは (濱田篤郎・東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授)【第65回】
このコラムでは、新型コロナウイルスの流行を歴史地理の視点で読み解くことを主要なテーマにしています。その背景にある医学分野の一つが「地理医学」です。この名前をご存じの方は少ないと思いますが、古代ギリシャから脈々と続く医学なのです。20世紀以降は近代医学発展の中に埋もれてしまいましたが、新型コロナの流行とともに、流行予測などの面で脚光を浴びつつあります。さらに、海外渡航者の健康対策やリウマチ、花粉症といった病気の対応にも役立ちます。今回はこの古くて新しい医学について紹介します。
地理医学の起源は古代ギリシャ時代にさかのぼる。写真は同時代の遺跡、パルテノン神殿(ギリシャ・アテネ)
◇流行予測に欠かせない知識
新型コロナの流行を予測する上で、ウイルスの感染力やヒトの免疫状態が、まずは重要な情報となります。これに加えて、気候や人の動きなどの情報も流行予測には欠かせないものです。例えば、前回のコラムで「日本の夏に流行が起きる理由」として取り上げた、日本の梅雨や、お盆による人の移動増加は、その代表的な情報と言えるでしょう。
このように、新型コロナのみならず感染症の流行には、気候や地形、さらには文化的な要素などが影響しており、それを考慮しておくことが流行を予測するためには必要なのです。そして、こうした地理的な情報を基に、感染症をはじめとする病気や健康問題に対処していく分野が地理医学(Geographic Medicine)になります。
◇古代ギリシャで発祥
地理医学の発祥は古代ギリシャの時代にさかのぼります。この時代に活躍した医師ヒポクラテスが、「空気、水、土地」という著作の中に、「医師は、土地特有の環境や生活様式を理解していないと住民に健康を提供できない」と記載しており、これが地理医学のルーツになっています。そして、ヒポクラテスの考え方は、近代に至るまで医学の基本理念として生き続け、地理医学も医療従事者にとっては必須の知識になったのです。
しかし、19世紀後半から微生物学や栄養学など近代医学が発展し、病気の原因が次々に解明されていくと、ヒポクラテスの考え方は古いものとして扱われるようになります。そして、地理医学も近代医学の世界では片隅に追いやられていったのです。
そんな中、筆者は1980年代、米国へ留学した時に地理医学に出会うことができました。この時の留学目的は、渡航医学という海外渡航者の健康対策を学ぶためでしたが、留学先となる大学の教室名が地理医学科(Department of Geographic Medicine)だったのです。欧米諸国では近代医学の時代になっても地理医学が存続しており、特に、海外渡航者の健康対策においては中心的な存在なのです。
◇渡航医学と密接な関連
日本では医療従事者の中でも地理医学という名前を知る人が少ないと思います。名前を知らないだけでなく、地理の知識を持つ医療従事者がかなり少ないようです。
しかし、筆者が専門とする渡航医学の場合、地理医学の知識を持ち、滞在する国の気候、地形、文化などを把握していないと、海外渡航者に適切な健康対策を提供することができません。これは古代ギリシャでヒポクラテスが述べた言葉と同じで、それが今でも生きているのです。
海外へ出掛ける人で混雑する東京・羽田空港(今年5月)。地理医学の知識は渡航者の健康を守る上でも重要だ
例えば、海外旅行を計画している人が旅先で病気になるのを予防するため、渡航医学の外来を受診したとします。まずは、この受診者の旅行ルートを地図上でたどりながら、地理医学の知識を基に、そのルートの隅々に潜む病気をリストアップしていきます。その上で、こうした病気を予防するために必要なワクチン接種などの対策を受診者に提供していくのです。これが渡航医学における診療の基本手技であり、地理医学が重要な知識であることがお分かりになると思います。
このように、渡航医学と地理医学は密接に関係しており、二つの医学には重なる部分も多いのですが、地理医学は海外渡航者だけでなく、その土地の住民も対象としています。
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(2023/07/27 05:00)