こちら診察室 「無塩無糖」の世界

初の「無塩無糖」懐石料理
~料理長の努力で実現~ 第7回

 「無塩無糖」になり、一番困ったことは外食ができなくなったことです。今から8年前、「無塩無糖」で16年が経過した時、インターネットで無塩無糖食を提供するレストランを検索してみましたが、見つかりませんでした。しかし、目に飛び込んできたのは日本高血圧協会のウェブサイトにある「ドクター上島の食塩無添加日記」です。読んでみると、このドクターも外食ができずに困っていたのです。筆者以外にも無塩食の方がいることにびっくり。悩みは同じだったのです。

 「ドクター上島」、上島弘嗣先生は滋賀医科大学名誉教授で高血圧専門医。日本の高血圧診療を指導する立場にあるお一人です。2014年から食塩無添加の食事を始めていたといいます。16年に京都でお会いし、高血圧の治療に食塩無添加食が大事であることを教えてもらいました。6年間の「食塩無添加」の体験を高血圧専門医の立場から学問的にまとめ、「ドクターうえしまの塩切り奮闘記」を出版されました。無塩食の作り方も詳しく説明してあり、高血圧と食塩について関心のある方は一読の価値があると思います。

「無塩無糖」の懐石料理(夕食)=おりはし旅館

 ◇料理長の戸惑い

 日本初の国立公園である鹿児島県霧島連山(霧島錦江湾国立公園)の南山麓に、妙見温泉のおりはし旅館があります。この旅館で、しばしば食事会が催されます。とても評判の良い懐石料理が供されます。しかし、「無塩無糖」食を実践している筆者にとっては塩辛く感じていました。

 そこである時、意を決して同旅館の料理長にお願いしました。

 「しょうゆやみそなど塩・砂糖の入った調味料を使わない、素材だけの『無塩無糖懐石』を作ってくれませんか」

 このお願いに料理長はとても驚き、困惑していました。料理学校で「無塩無糖」の料理を習ったこともないし、「無塩無糖」料理を作っている料理人もいないからです。

 ◇工夫を重ねる

 それでも何度もお願いし、最終的には受けてもらいました。日本に参考になる「無塩無糖」の料理がないため、料理長独自の工夫が始まりました。塩味は、しょうゆやみその代わりにかつお節などでしっかりと出汁を取りました。甘味はみりんや蜂蜜を使うと簡単ですが、使わないようにお願いしました。そこで、果物や野菜の自然な甘さを最大限引き出す工夫をしてくれたのです。

 料理長の試行錯誤と努力の結果、筆者も食べることができる無塩無糖の懐石料理が完成しました。会食では、筆者の分だけ「無塩無糖」料理を作ってくれました。心から感謝しています。

「無塩無糖」の懐石料理(朝食)=おりはし旅館

 ◇旅館経営者が関心

 おりはし旅館で筆者の分だけ無塩無糖を提供してもらい1年経過した時に、高校の同級生で同旅館の経営者の鎌田善政氏が、筆者の料理だけ異なっていることに気付きました。鎌田夫妻が「無塩無糖」の懐石料理に興味を示したため、筆者夫婦と試食しました。夫妻の感想は「味気ないと思っていたが、予想外においしいね」「おなかにもたれないね」と、評判は上々でした。鎌田氏が「高血圧糖尿病の予防に良いのであれば、今後、おりはし旅館で提供したい」と言いました。筆者は「他にない初めての料理なので、まず医学的な面も含め専門家に試食し、評価してもらってから考えたらどうだろうか」と提案しました。

「無塩無糖」料理を試食したサミットの参加者

 ◇「無塩無糖サミット」を開催

 「無塩無糖」料理を評価してもらうために、18年11月、筆者たちは「無塩無糖サミットinおりはし」を開催しました。3泊4日で合計8食を試すという企画です。この連載で紹介した、「本態性高血圧の元凶は食塩であり、原因療法は無塩食だけだ」と考えている荒川規矩男先生ご夫妻、「食塩無添加実践4年」の上島先生ご夫妻におりはし旅館に来ていただきました。他には鎌田夫妻、中尾夫婦、それにメディアの記者と栄養価分析を担当する管理栄養士の中尾矢央子さんの10人が参加しました。

 感想を紹介します。「おいしかった」「常識を覆す。これはいける」「食材の色が損なわれず、きれいだ」「喉が渇かない」「おなかに優しい」…。好評でした。

 「食材選びや調理に手間がかかるのではありませんか?」

 参加者の質問に料理長はこう答えました。

 「いつもより特別に新鮮な食材を使ったわけでもありません。それに下味をつけない分、普段よりも時間はかかりませんでした。調理時間は短いが、その代わり、メニュー作成に頭を使いました」

 一般的に、旅館における朝食は塩分が多いようです。例えば、みそ汁、塩魚、漬物、かまぼこ、塩と砂糖の入った卵焼き、ハム、ソーセージなど加工食品も多い。加工食品が多いと塩分が多いだけでなく、腎臓に負担となるリンも多くなります。

 和食の朝食を「無塩無糖」で作るとなると、苦労があると思います。同旅館の料理長の愛情を感じます。

 ◇味覚が鋭敏に

 無塩無糖の試食会が終わり、高速バスで福岡に帰られた荒川ご夫妻から電話が入りました。「帰りのサービスエリアで食事をしたのですが、塩辛く感じました。3日間の『無塩無糖食』でも味覚が鋭敏になるのですね」
 サミットの経験を基にして、同旅館は調味料や加工食品を使わない「無塩無糖食」の提供を19年から始めました。(了)


中尾正一郎(なかお・しょういちろう) 日本循環器学会専門医・日本内科学会認定内科医。1973年、鹿児島大学医学部卒業。米ハーバード大学医学部(循環器内科)、米マウント・サイナイ大学医学部(臨床遺伝学)留学を経て、95年、新しい疾患「心ファブリー病」を医学雑誌「NEJM」で日本から世界に発信。99年、鹿児島県立鹿屋医療センター院長に就任し、日本初の2カ所主治医制による地域医療「鹿屋方式」を構築。NHK「クローズアップ現代」で紹介された。「高血圧専門外来」で対症療法(高血圧薬内服)よりも、原因療法(減塩・無塩)を勧めている。

【関連記事】

こちら診察室 「無塩無糖」の世界