こちら診察室 学校に行けない子どもたち~日本初の不登校専門クリニックから見た最前線

日本における不登校の歴史 【第2回】

 不登校とは、年間30日以上学校を欠席する状態を指します。この現象は、日本の教育において重要な課題の一つとして認識されています。文部科学省の最新のデータによると、2022年度の小・中学校における不登校児童生徒数は29万9048人に達し、過去最多を更新しました。この数字は全児童生徒数の約3.2%に相当します。

出典:児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査結果の概要

 不登校は単なる個人の問題ではなく、社会全体で取り組むべき重要な教育課題です。その背景には、学校環境、家庭環境、個人の特性、精神疾患など、さまざまな要因が複雑に絡み合っています。また、不登校の捉え方や対応策は時代とともに大きく変化してきました。

 本稿では、日本における不登校の歴史を振り返ることで、この問題に対する社会の理解がどのように変遷してきたのか、そして現在どのような取り組みが行われているのかを探ります。不登校の歴史をひもとくことは、今後の教育の在り方や子どもたちの多様な学びの可能性を考える上で、重要な示唆を与えてくれるでしょう。

 それでは、明治時代の学制公布から現代に至るまで、不登校の歴史をたどっていきましょう。

 不登校の起源と初期の認識

 日本における不登校の歴史は、近代的な学校教育制度の始まりにまでさかのぼります。1872(明治5)年の学制公布により、日本で初めて全国民を対象とした義務教育制度が導入されました。この時点から、学校に通わない、あるいは通えない子どもたちの存在が社会問題として認識され始めました。

 当初、学校に通わない子どもたちの多くは、経済的理由や労働力としての必要性から就学できない「不就学」児童でした。しかし、就学率が向上するにつれ、別の形の長期欠席が問題として浮上してきます。

 明治後期から大正期にかけて、長期欠席児童を指す言葉として「怠学」という用語が使用されるようになりました。この言葉には、学校に通わない子どもたちを「怠け者」と見なす当時の社会の見方が反映されています。学校教育が国家の近代化と密接に結び付いていた時代背景もあり、「怠学」は個人の問題というよりも、社会秩序や国家の発展を脅かす問題として捉えられていました。

 しかし、この時期の「怠学」には、現代の不登校とは異なる要因も多く含まれていました。例えば、農繁期の手伝いや家業の手伝い、さらには病気による欠席なども「怠学」に含まれていたのです。

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