医学部トップインタビュー
垣根を越えて融合
臨床総合力を育てる―慶応大学医学部
◇視野を広げる海外留学
医学部の学生には海外留学を積極的に勧めており、5~6年次に行う短期海外留学生プログラムには、アメリカだけで40人近くが参加するという。医学生の課外活動として、南米、アフリカ、韓国、ラオスなど行き先は先進国とは限らない。
「医師になれば、いろんなバックグラウンドをもった患者さんに接することになる。人としてきちんと対応するには、自分たちが広い視野をもっていることが大切です。環境によって提供される医療も違う。まったく異なる文化を経験するのは貴重なことです」
21年に予定しているカリキュラム改定では、できるだけ長期に自由に使える時間を作り、研究に没頭したり、海外に出掛けたりするなど、個性を伸ばすための機会を増やす予定だ。
インタビューに応える天谷雅行医学部長
◇NIHで大きな刺激
天谷医学部長は栃木県宇都宮市の開業医の長男として生まれ、医学部に進んだのはごく自然な流れだったという。慶応大学医学部に入り、卒業後は大学院へ。研究室の雰囲気にひかれ、皮膚科を選んだ。
「30代の人たちの目が生き生きとしていて、教授に向かって自由に物が言える環境でした。皮膚科には未解明の疾患がたくさんあって、それを解明していこうと思いました」
大学院修了後はアメリカ国立衛生研究所(NIH)に留学、第一線の研究者たちに大いに刺激を受けた。
「論文で名前を見ていただけの人が、会ってみると喜怒哀楽もあるごく普通の人で、相当な苦労もあり、努力をしていた。その姿を見られたことで、自分の考え方の根幹が形成されたと思います」
◇天疱瘡の診断薬を開発
留学中に指定難病の自己免疫疾患である天疱瘡(てんぽうそう)の抗原遺伝子の単離・同定に成功。帰国後、組み換えたんぱくを抗原とした診断薬を開発した。現在、世界中で使われている天疱瘡の診断薬は、天谷医学部長が手掛けたものだ。
研究者としての姿勢もアメリカ時代に培った。その一つが、研究発表の行い方だ。
「データをたくさん出して、あれもやった、これもやったと、その人のすごさを伝えるのではなく、何をやって、そのことによって医療がどう変わったのか、聞いている人たちにどう役立つのかを伝える。研究発表は、インプレスするためではなくインフォームするために行うということを学びました」
北里記念医学図書館
◇一生かけて学ぶ
天谷医学部長が医学生の頃は、コンピューター診断画像(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)などの画像診断技術はなかった。医師になった後で身に付けていかなければいけない知識や技術はいくらでもある。
「医師の仕事は一生かけて学び、学んだことが診療という形で社会に還元できる素晴らしい職業」と天谷医学部長は受け止める。科学技術の進歩が加速していくこれからの時代、医療人には「ライフタイムラーナー」として学び続ける姿勢が求められている。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)
【慶応大学医学部 沿革】
1858年 福沢諭吉がオランダ研究のための塾を設立
73年 慶応義塾医学研究所を設立(7年後に閉所)
1917年 北里柴三郎博士を初代医学部長として医学部を設立
20年 慶応大学病院を開設
37年 北里記念医学図書館が完成
45年 空襲でキャンパスの約60%が焼失
56年 医学研究科の博士課程を設立
94年 医学研究科で修士課程を設立
2001年 総合医科学研究棟が完成
18年 新病院棟1号館が完成
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(2020/01/29 07:00)