Dr.純子のメディカルサロン

福島浜通り訪問記 前編(楢葉町)

 ◇楢葉町に就職した先輩の話を聞く

 「ならはみらい」を訪れたのは、実はもう一つの目的がありました。同法人で17年4月から働く立命館大OBの西崎芽衣さんに会うためです。

 「ならはみらい」の西崎さんらに聞いたところ、楢葉町は震災翌日である11年3月12日に全町避難となった後、15年9月5日に避難指示は解除されたとのことです。「避難指示が解除されたのだから、町に人が戻っているのだろう」と私たちは想像しますが、物事はそう単純ではありません。

 17年5月31日現在、町内居住者数は896世帯1,683人にすぎず、解除後1年8カ月以上過ぎてもなお、震災前の23%しか戻っていないという事実。西崎さんも、学生時代に知り合った文通相手が「楢葉町に戻らず、いわき市に住むことを決めた」と聞いてショックだったそうです。

 しかし、その後ご案内いただいた楢葉町役場の松本昌弘さんは、とても前向きでした。

 「もともとの人口から見ると『これだけしか戻っていない』となるが、一度ゼロになったところから再スタートと考えれば、15年から16年、16年から17年とそれぞれほぼ倍増している。そちらに目を向けるべきではないか」

 一度全町避難を迫られた町を再建するのは、並大抵ではないと思いますが、厳しい現実を踏まえつつも、ポジティブな発想に感心しました。

 次回(後編)は、翌日訪問した浪江町の様子をお伝えします。

(文 久保田崇)


→〔後編へ進む〕福島浜通り訪問記 後編(浪江町)


訪問した17年7月1日、楢葉町の線量は0.088マイクロシーベルト/時だった。この数値なら年間被ばく量は1ミリシーベルト以下である。
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