Dr.純子のメディカルサロン

福島浜通り訪問記 後編(浪江町)

 私が所属する立命館大は、福島県との協定に基づき、2017年6月24日から16人の学生からなる「チャレンジ、ふくしま塾。」をスタートし、7月1~2日に、福島県の浜通りを訪問しました。前回は初日に訪問した楢葉町の様子をお伝えしましたが、本稿では翌日に訪問した浪江町についてお伝えします。


◇バリケード封鎖されたまち

 楢葉町に泊まった翌日は、車で浪江町を目指して北上しました。楢葉から浪江に国道6号で向かう間、福島第2原発と福島第1原発を横目で見ながら、そして帰還困難区域のためバリケード封鎖されている大熊町と双葉町を通過しました。

 浪江町は、2017年3月31日に東部区域で避難指示が解除された町です。震災時人口は21,434人、津波により182人が死亡しました。(震災関連死378人。共に浪江町『東日本大震災・福島第一原発事故の記録と5年間の歩み』より)

 本年3月31日に一部区域で避難解除されましたが、5月31日時点の町内居住者数はもともとの人口の約1%に当たる234人です(浪江町によると、同日の「人口」は18,256人。これには避難者も含まれる)。

幹線道路である国道6号は通行可能だが、帰還困難区域が大部分を占める大熊町と双葉町はバリケード封鎖されていた。2017年7月2日車窓から撮影。



<浪江町の概要>
・人口21,000人、地酒・魚介・DASH村、B-1グランプリ「なみえ焼きそば」の町
・福島第1原発からの距離と放射線量は比例しない。このため原発から9km弱の浪江町役場より、北西に30km離れた津島支所の方が(事故時から現在に至るまで)線量は高い。2011年3月12日に避難指示が出たが、当時は正確な情報がなく、線量の高い津島支所に避難してしまった。
・17年3月31日 東部にて避難指示解除(西部は帰還困難区域が残る)
・17年5月31日時点の町内居住者数165世帯234人(大震災前人口の約1%)
・16年9月の町民アンケートでは、
  「戻りたい」   17.5%
  「戻らない」   52.6%
  「判断つかない」 28.2%

・避難先は県内7割、県外3割。県内はいわき、福島、南相馬、郡山、二本松の各市など(17年5月31日時点、浪江町HPより、多い順に)

上記は町役場でのヒアリングに基づく

(出典)『浪江町・富岡町における避難指示区域の解除について(案)』(第45回原子力災害対策本部会議, 平成29年3月10日)
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