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地下鉄サリン事件、被害に遭った医師はどう行動したか~現場で、搬送先の病院で~ 勝俣範之・日本医科大学教授


 海原 話せたのですか。

 勝俣 話せましたよ。意識はしっかりしていて、呼吸もしっかりしていましたから。僕のレジデントの同級生が救急部出身なので、がんセンターに着いたら電話をして、いろいろと調べてもらおうと思いました。

 地下鉄日比谷線築地駅前で救急車に運び込まれる被害者(1995年3月20日)

がんセンターに運ばれた中で2番目の重症患者

 海原 そんな状態で、そういうことをよく考えられましたね。

 勝俣 同級生は岐阜の大垣市民病院という有名な救急部にいたのです。大垣市民病院には、急性中毒情報ファイルがあるので、電話をして調べてもらおうと思って。その時、がんセンターには40人が入院していました。通常は一般の人は診ないのですが、緊急事態なので40人が入院しました。その中で、僕が2番目の重症だったのです。

 病院にすぐ着いて、でも意識もあったから、その彼に電話して、大変なことになったから、何か訳の分からない毒物を吸ったに違いないから調べてくれと。これこれ、こういう症状だから調べてくれと。それで調べてもらったんですけど、最初は全く分からなかったみたいです。何かの毒物だろうからということで、何リットルも点滴して強制利尿をして、あとは全身浴。

 海原 縮瞳で視界が暗くなっているのですよね。見えるのですか。

 勝俣 見えます、暗いだけで。午後になって、やっとサリンって分かったんです。午前中は分からなかったんです。何が起こったんだろうみたいな。

 海原 手足はしびれたままでしたか。

 勝俣 しびれたままです。ずっとしびれている。入院した時に1回吐きました。気持ちが悪くなって。午後になってサリンって分かったのですけど、サリンって、何もかも全く知識はなかったです。サリン中毒なんて、見たことも聞いたこともないじゃないですか。

 海原 あり得ないことですものね。

 勝俣 前年に松本サリン事件があって、まだオウムって分かっていない時です。松本サリン事件というのがあって、それに使われたのがサリンだということが分かって。信州大学に松本サリン事件の患者さんが入院して、信州大学から大量のファクスが送られてきたんです、がんセンターに。(1メートルくらいの高さを示して)ファクスでこれぐらい。

 海原 解毒の情報ですか。

 勝俣 治療ですね。サリンを知ってる人がいないので、救急(医療)が得意な医師が集められて、主治医団チームがつくられたんです。主治医と僕と一緒に読んだんです。自分も興味があったので。どうなるか分からないから、怖いから、チームと一緒に読みました。軍部の資料なのです。アメリカ軍とイスラエル軍の。サリンというのは毒ガスですから、ほとんど軍の資料です。

 海原 解毒用の薬が分かったのですか。

 勝俣 
解毒にはPAM(有機リン系農薬の解毒剤)だということが分かって、PAMが日本全国から集められ、重症の人から使っていったのです。重症の人は全部、聖路加病院と墨東病院に行っちゃって。がんセンターの僕には(PAMは)回ってこなかった。しようがないので、硫酸アトロピンを使っていました。これは解毒作用はないのですけど、多少効果があるらしくて、持続点滴されたんです。あれ、副作用でドキドキするんです。結構きつかったですね。

 注:硫酸アトロピンは、眼科の検査で眼底を検査するときに散瞳させるために使ったり、抗コリン剤として心筋に作用して徐脈改善に使ったりする。

 多数の消防車、救急車が集まった地下鉄日比谷線築地駅前(1995年3月20日)

 海原 目は少し見えるようになったのですか。

 勝俣 瞳孔が若干開くんです。

 海原 点滴は何日間ぐらい。

 勝俣 3日間くらいです。

 海原 しびれはどうでした。

 勝俣 しびれは後まで残りました。1カ月ぐらい。瞳孔が縮瞳しているのが1カ月ぐらい、とれなかったです。

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