Dr.純子のメディカルサロン

地下鉄サリン事件、被害に遭った医師はどう行動したか~現場で、搬送先の病院で~ 勝俣範之・日本医科大学教授


 海原 このまま死ぬのでは、と思いませんでしたか。

 勝俣 思いました。遺書を書こうかと思いました。当時、まだ子どもが小さかったから。生まれたばかりだったんです。もしものことがあったら、子どもを頼むと奥さんに言って。

 送られてきた文献の資料を最後まで読み切ったのが翌日ぐらいです。結構時間がかかった。しかも医学の論文や資料でないから、読み慣れないんです。軍の資料だから。軍部だから自分もサリン中毒になる可能性、自分も吸っちゃう可能性がありますよね。サリンを吸ったらどうなるか、みたいなことが書いてあるんです。つまりサリンの治療とか予後ですね。

 サリンって有機リン系で神経ブロックする薬です。神経を遮断する薬なので、有機リンと同じ作用なんです。有機リンって農薬に入っています。農薬中毒は、僕、研修医の時に救急部でよく見たことがあるんです。農薬中毒も呼吸停止になったりしますけど、後から肺線維症を起こすんです。肺線維症で亡くなる方を結構見たんですね。それが一番怖かったです。

 後遺症として、肺線維症がないかってことをずっと調べたんです。しかし、サリンにはないんですよ。初期にアセチルコリンをブロックし、神経をブロックして呼吸筋をまひさせる薬です。一度に大量のサリンを吸って、呼吸停止、呼吸器をまひさせて呼吸器を遮断する。まひさせて、それで窒息死させるというのがサリンの毒なんです。

 海原 最初の呼吸まひを逃れて生き延びると大丈夫なのですか。

 勝俣 そうなんです。それが分かったんです。医学的な後遺症は、PTSDとかはありますけど、それ以外は起こらない。器質的な後遺症はない。助かったと思いました。

 PTSDを食い止めたのは正確な知識

 海原 すごいですね。それは学問的勝利じゃないですか。

 勝俣 そうなんです。でも、読むのが大変でした。必死で読みました。

 海原 すごいです。

 勝俣 自分は初期に呼吸器まひがなかったので、助かったと思いました。だから遺書を書くのをやめたんです。

 海原 そんな経験をする医師はいないです。

 勝俣 サリンでコリンエステラーゼの値が下がるんですね。入院している間、40IU/Lぐらいになりました。40っていうと、かなり重症な方で、がんセンターに入った一番重症な人が20IU/LぐらいでICU(集中治療室)に入ったんです。僕は2番目に低かった。2番目に重症。ICUの人も助かりましたけどね。

 呼吸筋がまひして呼吸停止にならなければ、まず大丈夫なんです。サリンで11人が亡くなったんですけど、亡くなった人はみんな呼吸まひが起こった方です。今でも後遺症がある方は、いったん呼吸停止までいった方ですね。本当は、コリンエステラーゼが回復するまで、もう少し入院してって言われたんですけど、もう病院にいるのが嫌で嫌で。

 注:コリンエステラーゼの正常値は234-493IU/L

 海原 そうでしょうね。

 勝俣 病院にいるのが怖かった、個室に入っていたから。そのがんセンターの個室は、僕が何人も見送った患者さんの個室だったから。やっぱり怖いですよね。寝ていると天井しか見ないわけですよ。真っ暗な天井を見ながら、怖くなりますよね。患者さんもこんな怖い思いを毎日毎日しているのかと思うと、すごく怖くなって、あまり眠れないし。患者さんの怖くて寂しい気持ちがよく分かりました。

  ステージ上でギターを弾く勝俣先生(中央)と、先生の患者で大腸がんサバイバーの伊藤茂利さん(右)。左はミュージシャンの中村里美さん=「いのちの音色LIVE」にて

 海原 そうした体験、医師として、まずできないかもしれないです。

 勝俣 なかなかできないでしょうね。僕も生まれて初めて入院というものをしました。

 海原 初めての入院がサリンは嫌ですよね。

 勝俣 本当に怖くて嫌でした、病院にいるというのが。病院って陰気ですしね。

 海原 入って来るだけで何か暗いですよね。

 勝俣 楽しいことがないですよね。楽しくないし、変な臭いもするし。僕は退院したいと言って、5日目に退院しました。

 海原 5日目ってすごくないですか。2番目の重症患者で、しびれもあるのに。

 勝俣 まだちょっと(視界が)暗いんですけどね。しびれも残っている。でも、もう病院なんかいたくないと思って。自宅療養を2週間ぐらいして、やっと目が少しましになってきて、しびれも少しましになったからってことで、復帰しました。家にいても暇ですから。もう仕事できるよなと思ったから。

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