特集

自分がかかりたい病院づくり
まずは、あいさつを徹底
~熊本総合病院の軌跡と奇跡〔3〕~

 つぶれる病院ナンバーワンとささやかれていた熊本総合病院の新病院長に就任した島田信也氏は、どうしたら病院を立て直すことができるのかを模索していた。まずは清掃員も含めた381人の職員全員と面談し、一人ひとりの思いに耳を傾けた。同時に地域の開業医140カ所を一人で1軒1軒訪ね歩き、信頼にこたえる医療を提供する約束をした。

島田信也病院長

島田信也病院長

 そして、病院経営の立て直しに向けて(1)自分自身がかかりたい病院にする(2)医療とともに公にひと肌脱ぐ-という二つの標語を掲げた。これらを実現するための第一歩として、職員にあいさつを徹底させることにした。「病院はあいさつひとつで変わります」と島田氏は力説する。職員同士はもとより、患者一人一人に心のこもったあいさつをする。それだけで、病院内にまん延する停滞ムードが消えていった。

 「2カ月くらいで、地域の開業医の先生から『病院、変わりましたね』と言ってもらえるようになりました」。診療に必要な医師がそろい、病院内の雰囲気がよくなるとプラスの循環が生まれ、地域の開業医からの患者紹介も増えていった。

 ◇改革への反発

 病院改革は順風満帆だったわけではない。古くから勤めていた職員の中には、変革を快く思わない人たちもいた。何かを変えようとすれば、あつれきが生じるのは世の常だ。「何かひとこと言えば、横暴なワンマン病院長だと騒がれました。こんなに悪いやつだとか、ネガティブキャンペーンもされて、本当に周囲からも心からの心配を受けました。眠れない夜もありましたけど、ぐっと我慢です」

 医師を増やし、診療レベルが上がり、職員の接遇も良いとなれば、おのずと患者は集まってくる。病院が活気を取り戻していくなかで、多くの職員が島田氏を支持するようになっていった。

年次別収支ランキング

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 ◇人件費削減は間違い

 医師の確保ができた整形外科と耳鼻科の診療を再開。閉鎖していた100床の半分、50床を再開すると、その年度の決算は黒字に転換した。さらに翌年の2008年には累積赤字の7億円を解消。島田氏が病院長に就任して、わずか1年半後のことだ。

 「経営状態が悪いときに、まず人件費を削減しようとするのは間違いです。給料が下がれば職員のやる気はなくなり、負のスパイラルに陥る。総収入を上げれば人件費比率は下がるわけですから」

 総収入を上げるには、医師の確保が急務となる。就任後に、整形外科は常勤医3人、耳鼻科は常勤医1人で診療をそれぞれ再開。翌年には、消化器内科医4人、放射線科医1人を増員し、総合内科と神経内科を新設した。この時点で医師総数は34人となり、08年度の黒字額は全国社会保険病院の中でトップとなった。

医師・職員の年間給与費の増加

医師・職員の年間給与費の増加

 ◇ボーナスを1カ月上乗せ

 病院の収益が上がれば職員に還元するという約束どおり、年度末賞与を出すことにした。

 「人事院勧告では公務員のボーナスは4.45カ月分ですが、うちは給料の1カ月分を年度末賞与として出しています。JHCO(独立行政法人地域医療機能推進機構)には公的資金が投入されていないぶん、内部規定で黒字額の20%までは職員に還元してよいことになっていますから」

 島田氏がこの病院に赴任した06年の職員数は381人だった。それが年々増え続けて、18年には753人にまで増加した。「この病院で働きたいという人が、熊本だけでなく、鹿児島、宮崎、福岡、長崎など九州全域から集まってきてくれるようになりました」

 人件費を削減するのではなく、総収入を増やして人件費率を下げる努力が実を結んだ。

【熊本総合病院】
1948年に病床数100床の健康保険八代総合病院として開設。段階的に増床され、2000年には14診療科、344病床にまで拡大した。その後、経営が悪化して次々に医師が辞め、患者数は減少の一途をたどった。熊本県内のつぶれる病院ナンバーワンとまでささやかれたが、06年に病院長に就任した島田信也氏は徹底的な改革を断行。グループトップの黒字病院に生まれ変わった。新病院は、地域のランドマーク的な存在になり、街の活性化にも一役買っている。(中山あゆみ)(このシリーズは毎週金曜日に配信します)

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