特集

つぶれる病院「No.1」から起死回生
熊本総合病院の軌跡と奇跡〔1〕

 熊本県八代市の熊本総合病院は、かつて熊本県内のつぶれる病院ナンバーワンとまでささやかれていた。次々に医師が辞め、病棟は一部閉鎖、職員たちも働く意欲をなくし、患者数は減少の一途をたどっていた。ところが、島田信也氏が病院長に就任し、徹底的な病院改革を行った結果、JCHO(独立行政法人地域医療機能推進機構)グループトップの黒字病院に生まれ変わった。6年前に完成した新病院は、地域のランドマーク的な存在になり、街の活性化にも一役買っている。病院復活にかけた思いを島田病院長に聞いた。

小児科の休止のニュースが地元の新聞に掲載された

 ◇さながら幽霊病棟

 「この病院はもうつぶれるから、行かないほうがいいですよ」-。06年10月1日、新しい病院長として初出勤の日、タクシーの運転手が島田氏に話しかけてきた。「私のことを患者と間違えたのだと思いますが、地域の人からも見放された病院にこれから飛び込んでいくのだと、身が引き締まる思いでした」

 当時、八代総合病院(現・熊本総合病院)は7億円の負債を抱えていた。42人いた医師はどんどん辞めていき、06年に小児科医がゼロになったときは、地元の新聞にも取り上げられた。総合病院を名乗りながら、稼働しているのは外科と内科だけ。344床の病棟は100床分が閉鎖されていた。

 「閉鎖された病室のドアにはズラーッと痛ましく象徴的な黄色いチェーンがかけられていた。電気も消されて、さながら幽霊病棟でした。患者さんだって、こんなところに入院したくはないでしょう。自分たちが働く病院に、よくこんなことができたものだと思います」

閉鎖病棟にはずらりとチェーンが

 ◇「親方日の丸」に安住

 熊本総合病院は1948年、病床数100床の健康保険八代総合病院として厚生省によって開設された。その目的は、戦後の復興期、高度経済成長を支える工業地帯で働く人々とその家族、地域の健康を守ることである。その後、段階的に増床され、2000年には14診療科、344病床にまで拡大した。それが、熊本県内でつぶれる病院ナンバーワンと言われるほど転落してしまったのは、なぜなのか。

 「一言で言うなら、親方日の丸に安住する体質です。医療の質を最新レベルに高める努力をしない、患者さんへのサービスも悪い。定時まで仕事をして給料さえもらっていればいいという職員が多くなっていたんです」

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