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世界を視野に地域に貢献する人材を
~充実した教育体制で医師不足の解消目指す―宮崎大学医学部~

 宮崎大学医学部は、一県一医大構想に基づき1974年に設立された宮崎医科大学を前身とし、2003年に宮崎大学と統合して誕生した。「世界を視野に地域から始めよう」をスローガンに、在学中から卒業後まで一貫した教育体制で、地域に貢献できる医療人の育成に取り組んでいる。宮崎県は医師少数県で、医師の偏在問題も抱えている。このため、卒業後は県内で働くことを条件にした「地域枠」を設けて学生を募集しているが、今年度からは制度を拡充して問題の解消を目指すという。(取材日は2021年4月27日)

片岡寛章医学部長

 ◇「一つ屋根の下に」の精神

 宮崎大学医学部は「一つ屋根の下に」という旧宮崎医科大学の初代学長の勝木司馬之助氏の考えの下、教員と学生が共に耕す多様な世界をつくることを目指してきた。木々に囲まれ、鳥がさえずるキャンパス内には、日本を代表する彫刻家で文化勲章受章者の中村晋也氏によって創作されたヒポクラテス像がある。この像は宮崎医科大学時代からの象徴的なモニュメントで、医学を志す人の心構えとして次のような言葉がラテン語で刻まれている。

 「人生は短い。学術の道は長い。そして機会は瞬く間に過ぎてしまい、そして経験は頼りがたい。ゆえに判断は難しきものなり」

 これはヒポクラテスの言葉で、像の設置以来、宮崎大学医学部の理念のように語られてきたという。「像の台座には5円玉が積まれていますが、国家試験合格を願って学生たちが置いていくようです。皆さんの税金で運営されている国立大学ですから、学生たちには『権利を手に入れるのではない。重い義務を負うのだ』と言っています」と片岡寛章医学部長は話す。

緑豊かな宮崎大学医学部キャンパス

 ◇産学官挙げて「メディカルバレー構想」

 南北に長く、日向灘に面した宮崎県は、その温暖な気候からスポーツのキャンプ地として選ばれることも多く、同医学部ではスポーツ医学にも力を入れてきた。過去にはラグビーワールドカップチームやオリンピック候補選手の支援実績があり、なでしこジャパンの帯同ドクター派遣など、スポーツメディカルサポートシステムを確立した。

 また、周産期医療においては、周産期死亡と周産期における脳障害との因果関係について、県全域での調査研究および解析を行うなど、地域における先進的な取り組みも行っている。その結果、かつては周産期死亡率が高い地域に挙げられていたが、今では国内で最も低い地域としてその研究の成果を世界に発信している。

 一方、宮崎県延岡市から大分県にかけての海岸線を中心に展開しているのが「東九州メディカルバレー構想」だ。産学官連携による医療機器などの開発に取り組む特区として、同大学内には「血液・血管先端医療学講座(寄付講座)」が作られている。

 「大学の中に医工連携コーディネーターを置いて、医療現場のニーズをさまざまなセクションから拾い上げ、そのニーズに合致するシーズはないか、参加企業を模索するといった活動を行っています」

 昨年2月には、提携企業が製作した災害時用のポータブル吸引ポンプを片岡医学部長自ら、タイの大学に売り込みに行ったという。

インタビューに応じる片岡医学部長

 ◇九州・沖縄で唯一の医師少数県

 「宮崎県は、九州・沖縄で唯一の医師少数県です。県としては、ショックなことですが、医師少数県の中にもさらに偏在があります。どの科が足りないかとよく聞かれますが、宮崎に関しては、どの科も足りていないのが現状だと思います」

 こうした医師の偏在が起きた背景について、片岡医学部長は初期研修制度の導入もあったと指摘する。

 「初期研修プログラムを運営するためには指導医が必要になり、不足地域に派遣していた医師を引き揚げざるを得ない事態も生じました。ただ、現在では県内55カ所の連携医療機関と力を合わせた、『オール宮崎』の研修プログラムが整備されています」

 医師不足や偏在の解消のため、重点的に力を入れているのが地域枠の拡充だ。同医学部では、比較的早期に地元医師の確保に向けた地域枠(県内の現役高校生対象)や地域特別枠(既卒者など)を設けてきた。22年度からは地域枠を地域枠A、B、Cの三つに分けて刷新し、現在の地域枠は「地域枠A」として県内の現役高校生10人を対象とし、地域特別枠は「地域枠B」として対象を2浪までの県内の高卒者15人とする。そして、一般推薦枠だった15人を新たに設置した「地域枠C」に組み入れ、2浪までの高卒者を対象に全国から公募する。

 1学年の定員数は110人から100人に戻すが、地域枠はそれまでの25人から40人と増員され、これまで奨学金の出なかった地域枠(地域枠A)も含め、全ての学生に奨学金が出るように改編された。

 「そもそも本学医学部医学科のインフラは1学年100人で設計されています。スペースや丁寧な実習指導のための人的資源の問題など、責任を持って育成するためには100人が適切だと思います」

 ◇切り札の「キャリア形成プログラム」

 さらに、宮崎県、県医師会、宮崎大学の3者で策定したのが「キャリア形成プログラム」だ。地域枠の40人は卒業後9年間、地域の医療機関での研修(うち4年間はへき地)が義務付けられており、原則として同プログラムに参加しなければならない。

 ただ、このプログラムでは“へき地”の解釈を柔軟に見直すことで県内の広範な医療機関を対象とすることを宮崎県と同意し、すべての基本診療科の専門医の取得が可能なことや、研究や留学のために途中でいったん中断することもできるなど、柔軟な対応が取られている。

 「9年間連続で修了する必要はありません。出産や育児、病気や介護などの理由であれば、期限を設けず中断することも可能です。大事なことは県や医師会、大学が学生としっかり話し合って、いかに個々のキャリアを育成していくかということです」

 同制度の結果が出るのは数年先になるが、医師偏在解消の切り札として期待されている。

宮崎大学医学部の理念を示すヒポクラテス像

 ◇充実したシミュレーション教育

 宮崎大学医学部では、十分な指導医の確保が難しいことや、女性医師の現場復帰へのハードルが高いことなどを背景に、トレーニングシステムが必要との考えから、人形モデルなどの実習用器具を使ったシミュレーション教育に力を入れている。シミュレーターの種類は全部で60種類ほどあり、24時間使用することができる。昨年の使用者数は延べ人数で4000人を超えているという。

 「研修医が次の日の手術の練習をしたり、気管支鏡を施行する前に医師が手技をチェックしたり、学生に限らず、現役の医師や看護師さんなども、いつでも使えるようになっています」

 さらに救急外来には、救急車の内部がそのまま再現されたシミュレーターも置かれている。
「地方大学としては充実していると思います。卒業生に残ってもらうためにも教育が大事ですので教育への投資は惜しみません」と片岡医学部長は胸を張る。

 ◇コロナ治療薬につながる研究も

 片岡医学部長は高知県出身で、家族のけがや自身の交通事故などを経験し、気が付けば医学の道に進んでいたという。1982年に宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)卒業後は病理を専門とし、米国タフツ大学でポスドクとしてがんの研究に取り組んだ。

 「アメリカでは、遺伝子クローニングと配列決定を中心に研究していましたが、帰国後はタンパク質分解酵素の研究に特化してきました」

 片岡医学部長が長年にわたり研究してきたのは、がんの浸潤や転移などに関わるタンパク質分解酵素の働きとその制御だ。この制御に関わる細胞の表面にあるHAI-2と呼ばれるタンパク質が、新型コロナウイルス感染時に必要となる生体内のタンパク質分解酵素の働きも阻害すると考え、同大学は京都大学、国立感染症研究所、北海道大学と共同研究を行った。その結果、HAI-2がコロナ感染を抑えることが分かり、米国のウイルス研究の医学誌「Journal of Virology」に論文が掲載された。この研究成果は、コロナ治療薬の開発につながるものとして有望視されており、これから創薬に向けた取り組みも進められるという。(ジャーナリスト・美奈川由紀)

【宮崎大学医学部 沿革】

1974年 宮崎医科大学を設置
  80年 大学院医学研究科(博士課程)を設置
2003年 宮崎大学と宮崎医科大学が統合し、宮崎大学を創設
2004年 国立大学法人宮崎大学となる


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