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思いやりの心を持った医療人の育成
~地域に根差し、グローバルな視野で世界に発信―鹿児島大学医学部~

 九州の最南端に位置し、南北600キロにわたる広大な地域の医療を担っている鹿児島大学医学部は、離島やへき地が多いことから、その特徴を生かした医療および医学教育を展開している。鹿児島における医学教育の歴史は、明治維新直後、薩摩藩によって設立された医学校と病院(赤倉病院)から始まった。1943年に赤倉病院から引き継がれた鹿児島医学専門学校を前身とするのが鹿児島大学医学部だ。4月に就任した橋口照人医学部長は「屋根瓦式で兄が弟を教え、弟がまた下の弟を教える郷中教育の気風が鹿児島にはあると思います」と話す。

橋口照人医学部長

 ◇人を思いやる心を育てる

 鹿児島大学医学部は、明治初期から鹿児島で始まった英国流西洋医学の流れを受け、「人間性豊かな、地域に貢献する、研究心旺盛な、国際的視野に立つ」人材の育成を教育理念に掲げている。

 1年生から組み込まれているカリキュラムの一つに離島実習があるが、地域医療の担い手を育成する上で、この経験は大きいと橋口医学部長は強調する。「地域医療実習の真の目的は、離島やへき地の人たちのことを思いやれるようになることです。思いやる心というのは、最初は気付かなくても、時間と共に育ってくるものです。患者さんに思いやりの心を持って寄り添える医療人の育成を目指しています」

 ◇地域に根差した研究で世界的な評価

 鹿児島大学医学部では、重点領域研究として「先進的感染防御」や「難治性がん」などの研究に力を入れている。その中で、HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)や、それによって発症する成人T細胞白血病(ATL)、中枢神経疾患のHAM(HTLV-1 関連脊髄症)などの研究においては世界的な実績を誇る。特に、指定難病であるHAMは鹿児島大学医学部によって発見された。

鹿児島大学医学部

 これらの疾患は鹿児島の地域に多く発症するもので、地域住民の問題を解決する過程で研究が行われ、その後世界的な評価へとつながった。「どこでどんな発見をするか分かりません。学生たちには『君たちにはチャンスがある』と常日頃から話しています」

 鹿児島大学医学部は、地域に根差した研究と、その成果をインターナショナルへという理念をベースに、国際的な視野を持つ医療人育成のため海外の医療機関での短期実習のカリキュラムにも力を入れている。留学先としては、韓国やインドネシア、米国やドイツなどがあるが、中でもインドネシアでの学習成果は高いという。

 「学生たちは『自分たちが教えてあげる』といった感覚で行くのですが、インドネシアの医学生たちは真剣さが違います。母国を背負って立つといった意気込みがあるわけです。同校の学生は『まだまだ勉強が足りない』と自覚して帰ってきます。いい刺激になっていると思います」

 ◇父や祖父の姿を見て医師の道に

 橋口医学部長は、鹿児島県で生まれ育った根っからの鹿児島人だ。「猪突(ちょとつ)猛進、西郷さんに似ていると言われます」。病理学者だった父親と開業医だった母方の祖父の影響を受け、自然と医学の道へと進み、鹿児島大学医学部に入学した。

 幼少の頃は家庭の事情で祖父に育てられた。田舎の開業医だった祖父の往診かばんを持って、一緒に田んぼのあぜ道を歩いたことも記憶に残っている。「祖父は外科、内科、産科に至るまで幅広い領域を診ていました」。お産があればついて行き、軒下で出産が終わるのを待っていたこともある。そんな祖父と病理学者の父親の背中を見て育ったこともあり、小学校高学年の頃には医師になることを決めていたという。

 卒業後は鹿児島大学第三内科に入局した。その後、血液凝固に関する研究を行い、同研究では権威のある米国ワシントン大学(シアトル)に留学した。「世界中から研究者が集まっていました。当時の私には劣等感しかありませんでした」

ヒトレトロウイルス学共同研究センター

 バッターボックスに立ったのに球が速過ぎて見えない。橋口医学部長は当時をこう振り返って苦笑いする。そんな中で、結果を出すことができた時の喜びは今でも鮮明だ。「研究室の中で喜び叫ぶわけにもいかず、トイレに駆け込んで、鍵を掛けてガッツポーズしたのを覚えています」

 しかし、医師人生の中で大きな影響を受けたのはエイズ患者との出会いだという。血友病の診療に携わっていたため、薬害エイズ患者のケアを担当するのは自然の流れだった。「医師は患者さんに磨かれるものだと思います。患者さんたちとの出会いが今の私の考え方を築いてくれました」

 ◇日本初の国際認証取得

 学生時代にはリサーチマインドを持って患者を診るよう指導されたという橋口医学部長だが、臨床においてはそれ以上に大切なことがあるという。「『ただただ、しっかり患者を診る』ということです。リサーチマインドの涵養(かんよう)は、それができた上でのことです。当たり前のことですけど」

 鹿児島大学医学部は2017年、日本医学教育評価機構(JACME)による国際認証を日本で最初に受けた。その背景にあるのは、医療人としての態度を培う徹底したプロフェッショナリズム教育だ。早期の学年から患者と対話し、医学科生、保健学科生、看護師、社会福祉士、他大学の薬学生など多職種によるチーム医療のロールプレーも組み入れている。また、基礎と臨床の垂直統合や水平統合など、統合的な医学教育カリキュラムを導入している。「このようなプロフェッショナリズムを培う教育の構築が、おそらく日本で一番早かったのだと思います」

橋口医学部長の机の上にはナイチンゲール像が飾られている

 ◇看護の中に医学がある

 「私は学生の頃、医学と看護はベン図のように重なっている、あるいは医学の中に看護があるとイメージしていました。しかし、医療人となり経験を重ねる中で、『看護の中に医学がある』と思うようになりました。患者さんが病気と向かい合って生きていけるように患者さんに寄り添う医療人を育てることが私たちの役割であると思っています」

 橋口医学部長は、今年入学した学生に向けて次のように語ったという。「健康な社会とは、認知症の方々や障害を持って生活している方々、がんと闘病している患者さん方、みんなが『一緒に暮らす社会』です。このことは絶対に忘れてはいけません」

 「健康な社会とは何か」という問いは、橋口医学部長が長年エイズ患者を診てきて感じたことだ。「エイズは早期発見できればコントロールできる時代になりました。今、患者さんが闘っているのは偏見です。医学が発達しても、患者さんはそこで苦しむのです」

 偏見や差別は、現在のコロナ禍でも同じことが起こっていると指摘する。「HIV感染症の治療目標の一つに患者さんの社会復帰があります。しかし共に暮らす社会、つまり社会復帰できる社会をつくることこそ残された課題です。学生たちには、キャンパスライフを通して隣人を大切にする人間に育ってほしいと思っています」

 医学部長室の机の上には近代看護の母「ナイチンゲール像」が飾られている。「看護の中に医学がある」。橋口医学部長が目指す医療人の姿がそこにある。(ジャーナリスト・美奈川由紀)

【鹿児島大学医学部 沿革】
1869年  島津藩医学校設立
 80年 県立鹿児島医学校設立
1942年  県立鹿児島医学専門学校設置認可
 47年 県立鹿児島医科大学設置認可、同年7月予科第1回入学式挙行
 49年 県立鹿児島大学設置により県立医専および県立医大は同大学に統合
 52年 鹿児島県立大学医学部設置認可
 55年 鹿児島県立大学医学部は国立移管され、鹿児島大学医学部と改称
 58年 鹿児島県立大学医学部廃止
 68年 鹿児島大学医学部開学25周年記念式典および西洋医学開講100年記念式典挙行
2004年  国立大学法人鹿児島大学となる
 13年 鹿児島大学医学部創立70周年・西洋医学開講150周年記念式典挙行

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