医学部トップインタビュー

創立150年の歴史を積み重ね
~研究マインドを持った医師を育てる―岡山大学医学部~

豊岡伸一医学部長

豊岡伸一医学部長

 岡山大学医学部の起源は、1870年に岡山藩が設置した岡山藩医学館にまでさかのぼる。第三高等学校医学部、岡山医科大学を経て、昨年150周年を迎えた歴史ある学部である。江戸時代後期に大坂・船場で蘭学の私塾である適塾を開いた緒方洪庵の生まれ故郷でもあり、江戸時代から多数の医学者を輩出してきた。豊岡伸一医学部長は「患者から信頼される医師になることが基本。その上で、次の医療をつくり出すための研究心を持ち続けてほしい」と医師を目指す学生たちに期待する。

 コロナ禍でも学生に実習の機会を             

 岡山県内の新型コロナウイルス感染症患者数は、近隣都市と比べると少ない状況が続いているが、全国の他大学と同様、感染対策を講じる中で、医学部の学生にも多大なる影響が及んでいる。

 「十分な臨床実習ができないのが最大の問題です。今までは自分の受け持ち患者の手術には必ず入っていたのですが、外科手術の現場に入ることができなくなってしまいました。感染予防のための防護服が不足したためです。私が呼吸器外科を専門としていること、また、岡山大学病院は外科手術に強い病院ということもあり、これは大変残念でした」

 医学部の教育では、医療現場で直接患者と接する中で、医師としての基本的な態度や手技を身に付けていくことが不可欠だ。授業をオンラインに切り替えただけでは、カバーしきれない問題が残る。

 「せっかく医学部に入ったのに医師になる上で、非常に大切な医療現場で、直接患者さんと接する経験が減ってしまい、じくじたる思いです」

 そんな中でも学生になるべくチャンスを与えようと、外科であれば1カ月の選択実習期間中、一度は手術に医師と同じ目線で術場に参加できるよう、病院側の理解を得て協力して実施にこぎ着けた。補いきれなかった現場での学習は、初期臨床研修でカバーする方策を考えていく方針だ。

岡山大学医学部のキャンパス

岡山大学医学部のキャンパス

 ◇新しい価値を見いだす岡山バイオバンク

 医学部は創立150周年に向けて、いくつものプロジェクトを展開してきた。中でも、最近、注目されているのが、2015年4月に大学病院内に設立された「岡山大学病院バイオバンク」だ。病院を受診した患者の臨床検体を同意の上で採取して、カルテ上の臨床情報も含めて保管するというもので、大学や公的研究機関での基礎研究、臨床研究をはじめ、医薬品などの製品開発にも活用される。

 「尿、血液、がんの組織をはじめ、腫瘍(しゅよう)を攻撃する免疫細胞など採取が難しい検体も保管しています。品質が高く、しっかりした臨床情報が付いているのが特徴で、すでに2万症例を超えています」

 さらに、院内に岡山大学病院新医療研究開発センター(ARO)を設置し、バイオバンクと一体となって、企業との交渉、学内の研究者のサポートなどを行っている。

 「臨床研究をしっかりしていると、新薬の治験に参加できる機会が増えてきます。その結果、地域の患者さんが、いち早く最新の医療を受けることができるようになります」

 ◇双方向性の学習システムを構築

 教育カリキュラムでは、研究を重視する大学として、研究者の育成にも力を注いでいる。3年次に行う医学研究インターンシップでは、3カ月、学内外の研究室で医学研究を体験する。毎年約20人は海外に出ていくという。

 文部科学省の中央教育審議会が2018年11月に答申した『2040年に向けた高等教育のグランドデザイン』では、最新の学習スタイルとして『アダプティブ・ラーニング(個別最適化学習)』の重要性が指摘されている。

 「当時は、まだ新型コロナウイルス感染症の流行など予測だにしていませんでしたが、日本の教育界の英知が集まった内容だと思います。また、コロナで授業が完全Webになったとき、いかに質の高いものにするかが重要です」

 具体的には、オンラインを使った授業を講義だけで終わるのではなく、事前に課題を与えて講義の時間に発表してもらい、各自で復習するという双方向での取り組みを開始した。1時間の授業に前後の学習を含めて、一つの講義とする学習者主体の教育を目指している。

福武教育文化振興財団副理事長の福武純子氏の寄付で完成した多目的ホール「Junko Fukutake Hall」(通称:Jホール)

福武教育文化振興財団副理事長の福武純子氏の寄付で完成した多目的ホール「Junko Fukutake Hall」(通称:Jホール)

 ◇多彩な研修プログラムで人気を集める

 研究志向の高い医師を育てるため、学部学生のうちから大学院の講義を履修できる「先進医学修練コース(ARTプログラム)」を導入した。

 来年度からは、臨床研修と基礎研究の両立を可能にする「基礎研究医プログラム」が全国各大学医学部でスタートするが、同大学も初年度1人の定員を確保した。2年間の初期研修の間に6カ月間、基礎研究の教室に配属して、研修期間として認めるというもので、学生が研究に取り組みやすい環境を提供していく。

 初期研修は、協力型の病院も含めた「たすきがけ研修」を実施しており、他大学からの希望者も多い。

 「関連病院がたくさんあるため、多彩なプログラムが組める点が大きなメリットだと思います。東京や大阪に行きたいという学生も少なからずいますが、コロナで県外への移動が制限されたため、地域に残る人が増えています」

 ◇探究心の多い子ども時代

 豊岡氏が医師になることを意識し始めたのは、小学校高学年の頃だった。テレビでがんのドキュメンタリー番組を見た時「自分の体から出てきたものが自分の死因になっていくのは納得できない。どうなっているのだろう」と疑問が湧いてきたと言う。

 小学校時代は、変わっていると言われることが多かった。

 「道路に誰かが吐いた痰(たん)が落ちていたのですが、そこに血が交じっていて、僕は、なんでここに血が交じっているのかなと疑問に思って、ずっと見ていたというのです」

 がんの治療ができる外科医を目指して、岡山大学医学部に入学。医師になって4年目の冬、山の中の小さな病院で医師として忘れられない出来事を経験した。

 交通事故で意識のない患者さんが運ばれて来たのだが、先に意識がなくなったために交通事故にあった可能性も考え、心電図の所見から右心系の心筋梗塞を疑った。救急車を呼び、規模の大きな病院に向かう車中で患者さんの心臓が止まり、病院に着くまでおよそ30分間、心臓マッサージを続けた。結果的に、患者は緊急カテーテル手術を受け、回復した。

 「当時は、まだ学生の時に学んだ程度の知識量でしたが、設備がない中で人を救うことができた。大きなインパクトが残っています」 

インタビューに応じる豊岡医学部長

インタビューに応じる豊岡医学部長

◇次の医療を創りだす医師に

 「医師を目指す人に大切なのは、言うまでもなく、病気で困っている人がいたら助けたいという心が根本に備わっていることです」と豊岡医学部長は話す。

 さらに、これからの学生には、自分で問題を見つけて解決できる能力が必要だと指摘する。

 「先人たちが築き上げてきた医療の技・知識を利用するだけではなく、研究心を持って次の医療をつくり出してほしい。少しでもこの世の中を良くしたいという気持ちを、いかに育てていくか。それを視野に入れた教育をするのが私たちのミッションです」(ジャーナリスト・中山あゆみ)


【岡山大学医学部 沿革】
1870年 岡山藩医学館を設置
 80年 岡山県医学校として病院から分離
 88年 第三高等中学校医学部となる
 94年 第三高等学校医学部となる
1901年 岡山医学専門学校となる
 22年 岡山医科大学を設置
 49年 岡山大学医学部となる
 55年 大学院医学研究科(博士課程)を設置
2001年 大学院医歯学総合研究科を設置
2004年 国立大学法人岡山大学となる

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