2024/12/12 05:00
政治と医療の現場から女性支援
性暴力、福祉政策に挑む
近年、外科医をする学生や若手医師が減少し、外科医不足が深刻な状況となっている。その一方、女性医師の割合は増加している。けれども女性は家庭との両立が困難という理由から最初から外科医への道を閉ざしていたという現実があった。外科指導医と子育てとの両立を実現し、若い女性医師たちの活躍の場を広げるために精力的に活動する河野恵美子医師に外科の魅力と女性外科医を取り巻く現状について聞いた。
聞き手:白川礁(帝京大学医学部5年)、樋口万里子(獨協大学医学部3年) 構成:稲垣麻里子
企画:学生団体メドキャリ*
河野恵美子医師
河野恵美子氏プロフィル
医学部卒業から現在までの経歴
2001年に宮崎大学を卒業、2005年に結婚、2006年に出産、1年3カ月の専業主婦を経て2007年に大阪厚生年金病院に入職。子育て支援制度を利用しながら約9年間勤務する。子供が10歳のときに子育て支援離脱を決意し、高槻赤十字病院で3年間勤務。研究開発に専念するために2019年に大阪医科大学(現:大阪医科薬科大学)一般・消化器外科に入職。2015年11月に同じ志を持つ仲間と消化器外科の女性医師を支援する団体「AEGIS-Women」を立ち上げ、女性外科医の活躍の場が広げられるための活動に取り組んでいる。内閣府男女共同参画「令和2年度女性のチャレンジ賞」を受賞。TEDxNambaにも出演。
◇結婚出産をしたら外科医になれない?!
私が医師になった頃、外科で長く活躍されている女性は自身のプライベートを犠牲にし、仕事にまい進する非常に優秀な方ばかりでした。女性は外科に入局しづらい風潮があり、某有名病院の二次試験では外科系志望である私に対し、今やご法度となっている結婚や出産について質問され、「結婚もしたいし、子供も産みたい」と答えたところ、「結婚して子供を産んで外科が務まると思っているのですか?」とものすごいけんまくで返されたことが当時の記憶として強烈に残っています。もちろんその病院の採用試験は不合格でした。
◇女性が外科医になることへのハードル
そのような厳しい時代でしたので、出産後は退職して1年3カ月専業主婦になりました。出産前は年間800件ほど手術があるのに外科医は7人(そのうち60歳以上が2人)しかいない非常に忙しい病院で勤務していて、7月初旬が出産予定日なのに6月末まで働いてくれないかと言われました。そのくらい人材不足でした。私が辞めたら大学から外科医が派遣され、皆が助かるのではないかと思い、退職を決断しました。自身のキャリアなど考える余裕はありませんでした。その病院には育児支援制度はなく、常勤で子育てをしながら勤務している女性医師はいませんでした。
出産後は子育て支援で当時日本一と言われていた病院に外科医長として就職しました。しかし、現実は非常に厳しく病棟で患者を受け持つことも外来を担当することも許されず、泣いてばかりいました。頑張るチャンスすら与えられないのですから、つらかったです。そんな中、優秀な後輩女性外科医が出産を契機に断腸の思いで辞めました。その姿を黙って見ることしかできなかったことが本当に情けなく、自身がもっと若手の目標となる働き方をしていたら違ったのではないかと自身を責めました。
もう二度と同じような経験をする女性外科医を出したくないと思い、女性医師を支援する活動を始めました。2015年11月に同じ志を持つ仲間と消化器外科の女性医師を支援する団体「AEGIS-Women」を立ち上げ、女性外科医の活躍の場が広げられるよう、現在もさまざまな活動に取り組んでいます。
◇男性にとってもハード。外科医不足が深刻な問題に
私が出産した15年ほど前と比較すると良くなってはいます。ただ、外科全体の環境というと、むしろ悪化していて、病院で働く外科医は15年前には男女合わせて1万8000人ぐらいだったのが、厚生労働省の最新の統計によると1万1000人を切っていて3分の2以下にまで減少しています。病院で働く外科医の平均年齢は約50歳。このまま若い人が外科を志望しなければ外科診療は崩壊してしまいます。大きな理由は労働環境と昔ながらの文化です。私自身も「外科医は24時間365日働くもの」という教育を受けてきた世代なので、最初はとても苦しみました。先輩たちが築いてきた伝統や文化はなかなか変えられるものではありませんが、いい面は残しつつ、時代にあわせて少しずつでも変えていかなければいけないと思います。
◇外科医は患者にとって唯一無二の存在
外科の疾患は、悪性腫瘍や急性腹症などのような緊急度が高く、手術をしなければ救命できないことが多い。外科医でないと救えない生命があり、そこに魅力とやりがいを見いだし、つらいことや理不尽なことがあっても外科職務を続けてきました。
実は、私は弟を膵臓(すいぞう)がんで亡くしました。自分ががん家族になってみて、どういう思いで患者が外科医に生命を託しているのかを知りました。当時の私の上司に主治医をお願いしたのですが、医師と患者の関係を超えて一生懸命に向き合ってくださり、不幸な運命にあるわれわれにとって唯一の希望の光でした。私が思っていた以上に、外科医は患者にとって唯一無二の存在であるとその時に身をもって感じました。
人の生命に関わり、外科医にしか治せない病気に立ち向かう。ただ治療するだけではなく、医師と患者の枠を超え、患者やその家族の人生に、真剣に向き合うことが求められます。知識はもちろんのこと、人間力を磨くためにも努力しなければいけません。患者にとっては子育て中であるかは一切関係ありません。子育てを逃げ道にできるような、そんな甘いものではないのですね。
◇患者と真剣に向き合い、信頼関係を築く
患者に対しては人としての関わり方を大切にしています。その人がどうすれば心を開いてくれるのか、患者がどういう考え方をして、どういうことに興味を持ち、どういう生き方をしてきたのかを知り、患者・医師を超えた、人としての関係性を築くようにしています。患者のベッドサイドにいって、自分の体験談を織り交ぜることもあります。医師としては、生命を預けてもらっているのだから自分ができる限りの最大限の努力をします。自分の経験が未熟な場合は潔く認めて、自分より優れている人に相談します。自分の限界を患者の治療の限界にしたくないという思いがあるからです。最終的には主治医の私が判断します。余計なプライドは捨てて、いい意味で自分の仕事にプライドは持っておくことが必要だと思います。私は患者に、ここまでは分かるけど、ここからは今の現代医療では分からないと素直に言います。それでもし、患者から信頼されないようならセカンドオピニオンを勧めます。
入院中に隠れてたばこを吸っている患者には「私はあなたの体を守るために全力で取り組んでいます。だから、あなたも自分のできることは全力でやってください」と約束してもらいます。退院後に、外来に来なかったときは電話します。病院を辞める時に患者から、たくさんのプレゼントをいただき、医局の机や椅子に置ききれない量でびっくりしました。中には号泣する患者もいて、外科医として一生懸命やってきて良かったと心から思い、幸せな気持ちでいっぱいになりました。
◇患者を理解する学生時代の貴重な経験
医学部4年生の時に、医学展の際のテーマ決めを任されたことがあり、「患者さんの気持ち・看護師さんの気持ち・お医者さんの気持ち」というテーマで出展しました。1年生と一緒にがん患者にインタビューに行き、最後に短歌を書いてもらいました。患者は明るくインタビューに対応されていても短歌には深い心情がつづられていていることが多く、多くの方に伝えなければならないと思いました。冊子にして無料配布にしたところ大変好評で、本として出版されることになり、いきなり宮崎の週間ベストセラーとなりました。この患者インタビューの企画は今でも後輩たちによって続けられています。
6年生の時には、当時の副学長に「私に1コマ授業をください」と直訴し、ご家族をがんで亡くされた方に講演していただいたことがあります。実際に授業が行われたのは私の卒業後で私自身は出席できませんでしたが、学生たちは熱心に耳を傾けていたと報告を受けました。病院実習の中でも患者の声を聞くことは大変勉強になります。ただ、誰にでも簡単に本音を話してくれるわけではありません。学生時代からこのような機会を作り、患者の気持ちを理解しようとしてきたことは今となってもとても貴重な経験だったと思っています。
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