たばこ 家庭の医学

 喫煙は慢性気管支炎、肺気腫などの呼吸器疾患、動脈硬化心筋梗塞などの循環器疾患、肺・喉頭をはじめさまざまな部位のがん、胎児への影響など、文字どおり万病のもとであることは広く認識されていますが、非喫煙者が他人のたばこの煙を吸い込むことによる受動喫煙でも、同様の疾患が起こることがあきらかになっています。時に喫煙の擁護のために、大気汚染の健康影響と喫煙の害が対比して論じられることがありましたが、口元から発生するたばこ煙中の粒子状物質の量や一酸化炭素の濃度は、大気環境中の汚染物質の濃度の比ではありません。
 2002年の「健康増進法」を境として、職場や公共施設での喫煙規制も強まっています。しかし、たばこ煙中のニコチンには嗜癖(しへき)性があり、ひとたび喫煙習慣がつくと禁煙するのは容易ではありません。したがってWHO(世界保健機関)は、たばこも麻薬と同様の性質をもつと考えています。
 今日、喫煙者も喫煙の健康影響についての知識は一応もっていることが多く、単純に健康への害を説くだけでは禁煙を達成させるのは困難です。禁煙に向けた強い動機づけと、禁煙への決意の程度に応じたカウンセリング、そしてガムや貼り薬によるニコチン補充などの専門的なアプローチによる禁煙専門外来や、インターネットを利用した支援も多く生まれています。
 しかし、そうしたアプローチには限界があります。喫煙が麻薬中毒と同様の中毒であるなら、治療以上に予防が大切です。たばこの価格と税金を上げて未成年には手を出しにくくし、喫煙できる場所や時間を制限し、喫煙の機会を減らすことは喫煙(病)の予防活動になります。家庭や職場に喫煙者がいるとき、喫煙者とむやみに対立するのでなく、喫煙者が吸う気にならないような環境づくりを「ナッジ」の考え方を使って工夫するのも有効です。
 欧米のみならず、アジアでもふつうのことになりつつある飲食店の禁煙が、日本で遅れていたのは残念なことです。しかし、2021年の東京オリンピック・パラリンピックを契機として、ようやく東京都をはじめ飲食店の従業員が発がん物質であるたばこの煙にさらされる機会が減ることになりました。すでに飲食店を全面禁煙にしたヨーロッパ等の研究では、飲食店の禁煙が単に飲食店の従業員だけでなく、社会全体での循環器疾患の減少につながったという報告が続いています。
 これに対し、たばこ会社は無煙たばこや電子たばこ、加熱式たばこなど、さまざまな方策で喫煙病患者数の維持・増加をねらっています。加熱式たばこには、含まれる有害物質の量が紙巻きたばこの10分の1だという宣伝が広くおこなわれています。しかし、有害物質の量が10分の1ということがすなわち、害も10分の1ということにはなりません。喫煙者の喫煙欲求の重要な部分を占めるニコチンは狭心症心筋梗塞を起こしますが、それは加熱式たばこにも紙巻きたばこも同様の量が保たれています。そして、禁煙をせずに加熱式たばこを吸っていてもニコチン依存状態は持続するので、加熱式たばこが手に入らないときは容易に紙巻きたばこに戻ってしまいます。
 WHOは「たばこ規制枠組み条約」を定め、わが国も批准していますが、ここに書かれたような包括的な取り組みが必要です。

●WHOのたばこ規制枠組み条約(FCTC)の概要
A.たばこ需要の抑制
 1.価格や税率の増加による需要抑制
 2.価格外の施策による需要抑制
 3.たばこ煙への曝露防止
 4.たばこ製品の成分の規制
 5.たばこ製品情報の開示基準
 6.たばこ箱の包装やラベルデザイン
 7.教育、訓練、社会の関心
 8.たばこの宣伝(事業スポーツなどへの)協賛支援
 9.たばこ依存と喫煙欲求の抑制
B.たばこ供給の削減
 1.たばこの非合法取引
 2.未成年者へのたばこ販売や未成年者を使った販売
 3.経済的に成り立つ代替事業の支援
C.その他
 1.人の健康と環境の保護
 2.たばこ会社の社会の中での認知の改善向上のための活動(CSR、イメージ戦略)の規制


(執筆・監修:帝京大学 名誉教授〔公衆衛生学〕 矢野 栄二)
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