一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏
(第1回)
生き別れになった双子の妹
30年間、別々の人生歩む
祖先は仙台(伊達)藩の藩医。対馬氏が生まれた当時、祖父は弘前大医学部長で、祖母も厳格な人だった。祖父母は対馬氏の母親が双子を妊娠したと知ると、知人の同じ大学の教授に託すよう伝えたという。
母親は必死に抵抗したが、当時は双子に対する偏見もあった。「20歳で結婚した若い嫁に双子の育児は難しいから」と説得されてしまった。一卵性双生児の妹は出生直後、祖父の家の隣に住む教授に預
しかし、対馬氏が両親と住む弘前市内の自宅は、祖父母宅から歩いて5、6分の距離にあった。「3歳の時、祖父の家に1人で行ってしまい、親が探しに行くと、隣の家にいた双子の妹と2人で遊んでいたというんです」と対馬氏。「『これはいかん』ということで、2人を離して育てるため、私が4歳の時にわが家は八戸市に引っ越したそうです」
対馬氏と双子の妹はその後、約30年間、顔を合わすこともなく別々の人生を歩んだ。
(2018/01/25 11:33)