一流に学ぶ 心臓カテーテルのトップランナー―三角和雄氏
(第4回)
米国研修で心臓カテーテル
循環器に進路変更、再渡航狙う
◇「日本は10年の遅れ」
ラシュキンド教授が行うカテーテル治療を目の当たりにした三角氏は、患者にとって負担の少ない治療に強い関心を抱いた。心臓カテーテル治療はもともと米国が発祥の地。日本では1980年代前半、三角氏が医学部を卒業する頃に始まったばかりで、当時は約10年の遅れがあったという。
三角氏は「これからは身体的にも経済的にも、患者に優しいカテーテル治療が医療の主流になる」と確信した。「この治療法は米国で学ぶしかない」と考えた三角氏は、夏期研修から戻った後も再度渡米のチャンスを狙った。しかしビザの問題などもあり、すぐに渡米できるわけもなく、帰国後は東京医科歯科大学第三内科に入局した。
「米国で臨床研修した先輩がいて、将来の渡米に一番理解がありそうだったからです。当時は留学して帰ってくるのが嫌なら医局を辞めろという世界でしたが、第三内科はリベラルな雰囲気で好きなように勉強していいと言ってくれました」
三角氏は大学病院で1年間弱、翌年には横浜南共済病院に派遣され、数多くの症例を経験。渡米に向けた準備を整えていった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
→〔第5回へ進む〕研修で人種差別経験=実力とタフさで乗り切る
←〔第3回に戻る〕趣味の将棋で「考える力」=東京でカルチャーショック
- 1
- 2
(2018/02/06 11:37)