「医」の最前線 「新型コロナ流行」の本質~歴史地理の視点で読み解く~
超特急ワクチン
~通常5年を1年で開発~ (濱田篤郎・東京医科大学病院渡航者医療センター教授)【第9回】
2020年5月に米国のトランプ大統領は、2021年1月までに有効で安全な新型コロナワクチンを開発し、国民に接種する計画を発表しました。これは「ワープ・スピード作戦」と命名されています。「ワープ・スピード」とはSF映画の「スター・ウォーズ」シリーズにも登場する言葉で、「光速を超えたスピード」を意味します。それほどまで早急にワクチン開発を終了しなければ、新型コロナの流行は終息できないという意気込みが伝わってきます。
ワクチンの開発は短期間でできるものではなく、通常は最速でも5年はかかります。それを1年以内に終わらせるため、RNAワクチンやベクターワクチンといった新しい種類のワクチン開発が行われました。今回は新型コロナウイルスのワクチン開発とその現状を解説します。
米製薬大手ファイザーと独バイオ医薬品企業ビオンテックが開発した新型コロナウイルスのワクチン【ビオンテック提供】
◇ワクチン開発は2000年以上前から
感染症の制圧にワクチンが有効であることは、はるか昔から分かっていました。
例えば、インドでは紀元前1世紀ごろから天然痘の予防のために、この患者の皮膚から採取した膿汁を健康な人に接種する方法を行ってきました。膿汁の中には生きたウイルスが含まれており、今の生ワクチン接種に近い方法になりますが、接種を受けた人の中には、それが原因で天然痘を発病する人も少なくありませんでした。この人痘接種という方法は10世紀ごろから中国でも行われ、日本にも伝わっています。接種により発病する危険性はあっても、天然痘は多くの人々の命を奪ってきた病気であるため、その予防に人痘接種が広まっていったのです。
◇ジェンナーが開発した安全なワクチン
危険な人痘接種が安全なものになるのは、18世紀末のことでした。1796年に英国の医師ジェンナーが、天然痘ワクチン(種痘)の開発に成功したのです。
彼は「乳搾りの娘は天然痘にかからない」といううわさを耳にして、その理由が牛痘にかかるためではないかと考えました。牛痘とは牛の天然痘で、人に感染しても軽い症状しか起こしません。そこでジェンナーは、牛痘の膿汁を地元の少年に接種し、その後、ヒトの天然痘を実験的に接種したところ、この少年は天然痘にかからなかったのです。これが安全なワクチンの始まりでした。
その後、19世紀後半に多くの病原体が発見されていく中で、フランスの微生物学者、ルイ・パスツールは、病原体を人工的に弱毒化することにより、安全なワクチンを大量に生産する方法を開発したのです。
◇ワクチン開発にはなぜ時間がかかるのか
20世紀には数多くの細菌やウイルスに効果のあるワクチンが開発され、それを原因とする感染症は制圧されていきます。しかし、このワクチン開発に当たっては何十年という歳月がかかりました。
ワクチンは人間の体内に病原体か、その断片を注入し、体内のリンパ球に病原体の情報を記憶させます。このときに注入する病原体には、弱毒化されているタイプ(生ワクチン)と死んでいるタイプ(不活化ワクチン)があります。こうしてリンパ球が病原体情報を記憶していれば、次に感染しても、すぐに抗体が産生されるなどして病原体を排除できるのです。
新たに発見された病原体のワクチンを作る場合、まずは、病原体のどの部分が排除に重要かを検討しなければなりません。新型コロナウイルスでは、表面にあるスパイクたんぱくと呼ばれる突起が重要であることが、比較的早くから見つかっていました。
そうなると次は、スパイクたんぱくの構造を残しながら、ウイルスが病気を起こさないようにする処理が必要です。ウイルスを弱毒化したり殺したりする処理ですが、これにかなりの時間がかかります。また、多くの人に接種するには大量のウイルスが必要になり、このために行うウイルス培養にも長い時間がかかるのです。
◇新たな種類のワクチン開発
こうした時間を短縮するため、新型コロナには新しい種類のワクチンが開発されました。これがRNAワクチン(ファイザー社、モデルナ社など)やベクターワクチン(アストラゼネカ社など)です。いずれもウイルスの遺伝子をヒトに注入し、ヒトの体内でワクチンを製造するという方法でした。
注入された遺伝子はヒトの細胞の中に入り、この細胞がスパイクたんぱくを作ります。このたんぱくをヒトのリンパ球が感知し、情報を記憶するわけです。ウイルスの遺伝子そのものは病気を起こさないので、ウイルスを不活化する時間が節約できます。また、遺伝子が侵入した細胞にスパイクたんぱくを産生させるため、ウイルスを培養する必要もありません。
このように画期的なワクチンですが、ベクターワクチンは今までにいくつか実用化されているものの、RNAワクチンは実用化されるのが初であり、開発が始まった時点で効果や副作用への不安がありました。
英製薬大手アストラゼネカと英オックスフォード大が共同開発した新型コロナウイルスワクチン【同大提供】
◇有効なワクチンであることは確か
しかし、この不安もやがて消え去りました。ファイザー社とモデルナ社のRNAワクチンは2020年11月までに臨床治験を終了し、発症予防効果が90%以上に達することを明らかにします。アストラゼネカ社のベクターワクチンも約70%の効果という発表でした。世界保健機関(WHO)では予防効果が50%以上であることをワクチン承認の条件としていただけに、いずれのワクチンも新型コロナの予防に有効であることは確実です。また、いずれのワクチンも重大な副反応の発生はないという結果が示されています。
こうした報告を受けて、2020年12月から米国やヨーロッパなど世界の多くの国がファイザー社やモデルナ社のRNAワクチンを承認し、接種を開始しています。また、アストラゼネカ社のベクターワクチンも英国などが承認しています。日本でもファイザー社が承認申請をしており、これから審査が行われる予定です。
このように超特急で開発されたワクチンですが、私は有効性が予想以上に高いと思っています。その一方で、懸念する点が二つあります。一つ目は効果の持続期間で、臨床研究の期間を考えると、今のところは3カ月程度の保証しかありません。二つ目は副反応で、重大なものは無いという結果も、接種後、約3カ月の観察で判断されたものです。ワクチンの副作用は大規模な使用が始まってから明らかになることもあります。
◇流行状況により接種の判断を
今回の新型コロナウイルスのワクチンが承認されても、その接種を受けるか否かは個人の判断になります。この判断に当たり重要なポイントは流行状況です。米国やヨーロッパのように多くの感染者が発生している国であれば、少々の副作用の不安があっても接種を受けるという判断があると思います。
もう一つ重要なポイントは集団免疫の早期達成です。新型コロナの場合、集団の6~7割が免疫を持てば流行が終息すると考えられています。これを早期に達成するためには、多くの人がワクチン接種を受けることが望まれます。これに協力するかどうかも接種を受ける判断材料になるでしょう。
新型コロナのワクチンは流行の発生から、わずか1年で完成しました。最先端の科学技術を結集して作成したものであり、革命的なスピードと言えます。しかし、こうしたワクチンを多くの人が受けなければ流行は終息に向かいません。そのためには、行政からの分かりやすい情報提供が求められているのです。(了)
濱田特任教授
濱田 篤郎 (はまだ あつお) 氏
東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授。1981年東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学留学。東京慈恵会医科大学で熱帯医学教室講師を経て、2004年に海外勤務健康管理センターの所長代理。10年7月より東京医科大学病院渡航者医療センター教授。21年4月より現職。渡航医学に精通し、海外渡航者の健康や感染症史に関する著書多数。新著は「パンデミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策」(朝日新聞出版)。
(2021/01/28 05:00)
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