「医」の最前線 「新型コロナ流行」の本質~歴史地理の視点で読み解く~
奇跡の治療薬
~開発にさらなる時間~ (濱田篤郎・東京医科大学病院渡航者医療センター教授)【第8回】
抗菌薬の開発により20世紀中ごろまでに感染症は死の病ではなくなりました。1978年に国連は「2000年までに感染症は人類の主要な健康上の脅威ではなくなるだろう」という声明も発表しています。これは1977年の天然痘根絶を受けて出されたコメントですが、この時点で、天然痘に代表されるウイルス感染症に効く治療薬はほとんどなかったのです。その後は抗ウイルス薬の開発が進む一方、それを上回る速さで、新しいウイルス感染症が世界各地で拡大していきました。今回の新型コロナウイルスにも治療薬はもちろん準備されていませんでした。今回は新型コロナの治療薬の現状について解説します。
抗ウイルス薬「レムデシビル」【EPA時事】
◇肺炎が死を招く
新型コロナウイルスに感染して症状がでると、少なくとも2割の人が肺炎を起こすとされています。この中には呼吸不全に陥る人もいて、その結果、発病者の1~2%が死亡します。この肺炎はウイルス自体によっても起こりますが、ウイルスを排除しようとする免疫反応によることが多いようです。いずれにしても、肺で増殖したウイルスが原因であり、このウイルスを殺す薬があれば肺炎も治療できます。しかし、新型コロナウイルスの特効薬は、流行が始まった時点で存在しませんでした。
◇代用薬による治療
そこで、他のウイルス感染症に用いていた薬剤を代用する試みが取られます。2020年2月には中国・武漢のウイルス研究所が、試験管内の新型コロナウイルスがレムデシビルとファビピラビル(アビガン)という薬剤により殺滅されたことを発表します。
レムデシビルはエボラ出血熱の治療薬として、2015年に米国の陸軍感染症研究所とギリアド社が共同開発した薬剤です。13年から西アフリカで起きたエボラ流行時にも使用され、一定の効果が確認されています。一方のファビピラビルは、富山大学と富山化学がインフルエンザの治療薬として開発し、14年に日本で承認を得たものです。他の抗インフルエンザ薬が効かないときの切り札として、流通させずに国家備蓄を行っていました。
これらの薬剤が標的とするエボラウイルスやインフルエンザウイルスは、新型コロナウイルスと同じRNAウイルスという種類に属します。そして、どちらの薬剤もRNAウイルスが増殖するときに用いる酵素を阻害する作用のあることから、新型コロナの治療にも代用されるようになりました。
◇ウイルス治療薬の開発は1970年代から
細菌感染症を治療する抗菌薬の開発は20世紀前半から始まりました。1928年には英国のフレミングがペニシリンを、44年には米国のワックスマンがストレプトマイシンを発見します。それまで死の病とされていた多くの細菌感染症の治療が可能になり、奇跡の薬として脚光を浴びました。
その一方で、ウイルス感染症の治療薬開発は大幅に遅れます。ウイルスという病原体の詳細が不明だったことや、ウイルス感染症の重要性が、あまり認識されていなかったこともあります。こうした事情で、最初の抗ウイルス薬は70年代に登場したリバビリンでした。この薬はインフルエンザの治療薬として開発されましたが、あまり効果がなく、その後はウイルス性出血熱やC型肝炎の治療に用いられています。また、同年代にはヘルペスウイルスの治療薬であるアシクロビルも開発されています。
富士フイルムグループが開発したインフルエンザ治療薬「ファビピラビル」(商品名アビガン)【富士フイルム提供】
◇エイズの流行が抗ウイルス薬開発を加速
抗ウイルス薬の開発が本格的に進むのは、81年にエイズの流行が明らかになってからです。83年にHIVウイルスが原因と判明してから、各国が治療薬の開発に挑みました。やがて85年、米国国立衛生研究所(NIH)に所属していた日本の満屋博士がジドブジン(レトロビル)という薬剤を開発し、これがエイズ治療薬として87年に米国で承認されます。その後も数多くのエイズ治療薬が登場し、エイズは死の病ではなくなりました。
こうしたエイズ治療薬開発のノウハウを生かして、その後はさまざまな抗ウイルス薬が登場します。90年代にはインフルエンザウイルスの治療薬としてオセルタミビル(タミフル)やザナミビル(リレンザ)が開発され、その使用が始まりました。
ただ、現在でも抗ウイルス薬として広く使用されているのは、インフルエンザやエイズの治療薬で、製薬会社も採算性などからそれ以外には、あまり興味を示していません。各国政府もウイルス感染症はワクチンで予防するという戦略を取っていました。そんな中、新型コロナの流行が始まったのです。
◇新型コロナに抗ウイルス薬は有効なのか
レムデシビルとファビピラビルは新型コロナの流行当初から使用されました。政府が承認していなくても、他に選択肢がないので、緊急使用という形で治療が行われたのです。
その結果、レムデシビルについては2020年4月上旬、米国の医学雑誌New England Journal of Medicineに新型コロナの治療に有効であるとする調査結果が掲載されます。この調査には日本の国立国際医療研究センターも加わっており、同年2月にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で発病した患者の治療成績も含まれていました。こうした医学的知見に基づいて、日本政府は同年5月にレムデシビルを新型コロナの治療薬として承認しました。
一方のファビピラビル(アビガン)については、日本でも臨床研究が続けられていますが、20年12月時点で承認は得られていません。薬剤が有効か否かを医学的に判断するためには、その薬剤を使用する患者グループと、偽薬を使用する患者グループに分けて、効果を比較しなければなりません。患者だけでなく医療従事者にも、本当の薬剤で治療が行われているのか、偽薬なのかは知らされません。新型コロナのように致死率の高い病気の場合、こうした正式な臨床研究を日本で行うのは、なかなか難しいのです。
◇補助的治療法の進歩
20年10月17日、WHOは世界各国で行われていた臨床研究の結果を集計し、レムデシビルを効果が認められない薬剤のリストに入れました。しかし、この判断には各国から疑問の声が上がっています。レムデシビルは病状が進行した時期に投与しても効果が出ませんが、肺炎が起こり始めた早期に使用すると効果を認めるとする意見が数多く聞かれます。
では、病状が進行してしまうと治療法がないのかというと、そういうわけではありません。流行が始まって1年近くがたち、新型コロナウイルスそのものではなく、感染の結果として起こる症状に対する治療法が確立されてきました。たとえば肺炎については、デキサメサゾンというステロイド剤を使用すると改善が見られることが明らかになっています。また、感染者は血管内に血栓(血の塊)ができやすくなり、これが肺などの血管を閉塞(へいそく)して重症化することも分かってきました。そこで血栓を予防する薬剤を投与することも、最近の治療では行われています。
新型コロナウイルスそのものに対する特効薬が開発されるまでには、まだまだ時間がかかるでしょう。しかし、私たちは1年間の流行を経験し、補助的治療法で大きな進歩を遂げているのです。(了)
濱田特任教授
濱田 篤郎 (はまだ あつお) 氏
東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授。1981年東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学留学。東京慈恵会医科大学で熱帯医学教室講師を経て、2004年に海外勤務健康管理センターの所長代理。10年7月より東京医科大学病院渡航者医療センター教授。21年4月より現職。渡航医学に精通し、海外渡航者の健康や感染症史に関する著書多数。新著は「パンデミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策」(朝日新聞出版)。
(2021/01/21 05:00)
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