こちら診察室 アルコール依存症の真実

何としても飲み続ける 第17回

 離婚を避けるために、横沢さん(仮名)は妻の両親に向かって「今後は一切、酒は飲みません」と宣言した。空手形であることは本人ばかりか、妻も十分に分かっていた。しかし、宣言した手前、おおっぴらに飲むことには、はばかりがあった。

水で冷ますと、手の震えが止まる

 ◇身勝手な怒り

 酒なしには夜も昼も過ごせない横沢さんにとって、妻の目に触れないように飲むのは、それは大変だった。

 会社が終わって飲む1本の缶チューハイが1日の全ての酒だった。飲み終わると散歩をした。雨が降っても、風が吹いていても散歩をした。そして、酒の臭いが消えた頃に家に帰るのだ。そんな日課がしばらく続いたある日、横沢さんは思った。

 「これだけ酒の量を減らして家族のために頑張っている。それなのに、妻は自分を褒めてくれない」

 身勝手な怒りを口実に、缶チューハイは2本に増えた。

 ただし、妻に飲んでいることがばれるのは怖く、散歩で臭いを飛ばして帰宅するという日課だけは続けた。とは言っても、それだけの酒で足りるわけではない。手を替え品を替えて隠れ酒をすることになるのだが、それについては後述する。

 ◇「アル中」という言葉

 いつの頃からか、横沢さんはある悩みを抱えるようになった。文字を書こうとすると手が震えるのだ。会社では「ちょっと、トイレへ」と言って席を離れ、水道で手を冷やす。すると2〜3分で震えが止まった。横沢さんには手の震えが「アル中」の症状であることは分かっていた。それだけに、人に知られてはならないものだった。

 医学的には、「アル中」ではなく「アルコール依存症」が正式の呼び方だ。しかし、アルコール依存症と診断された患者は、自分を「アル中」と称することが多い。アル中の方が自分自身をおとしめる響きがあるからだろうか。患者本人は、自身に起因する抜き差しならない問題をあまた抱えており、自分のどうしようもない飲酒癖を決して誇らしいとは思わないものなのだ。

 ◇素晴らしい発見!?

 横沢さんの手が震えるのは、体内のアルコール濃度が下がったことで起こる「離脱症状」の一つだ。だから、アルコールを体内に取り入れれば離脱症状は治まる。横沢さんは、ふとした拍子にそれを知った。1杯飲めば震えがピタリと止まるのだ。それは、野球漫画の巨匠、水島新司の「あぶさん」の主人公の酒しぶきとは比べようもなく、格好良くはなかったけれど、手の震え対策としては似たようなものだった。

 横沢さんは、その素晴らしい発見を大層喜んだ。

 「この手の震えが人に分かったら、アル中の烙印(らくいん)が押されて自分の人生は終わる。手の震えだけは絶対に見られたくない」

 それが喜びの理由だった。

 ◇会社での飲酒加速

 1日のアルコールは缶チューハイ2本だけという自粛は3カ月で破綻した。横沢さんは仕事用のかばんに、カップ焼酎を忍ばせて出社するようになった。カップ焼酎に切り替えたのは、缶チューハイに比べて度数が高く、即効で手の震えが止まるからだ。

 昼休みになると、横沢さんはみんなよりも少し遅れて食堂に行く。1本グビリとやると、手が震えずに箸も茶わんも持てる。やがて、午前10時と午後3時の休憩にも飲むようになる。場所はトイレの個室。こっそりと飲み干し、消臭剤とうがい液で臭いを消す。

 ◇ウイスキーボトルへ

 そのうちに、カップ焼酎3本を毎日買うのが面倒になった。朝、いつもより早く家を出て、途中駅で下車する。顔見知りがいないことを確認して、コンビニでウイスキーのボトルを買う。焼酎からウイスキーに切り替えたのはアルコール度数が高いからだ。それをかばんに入れて出社し、人目を忍びつつ、ラッパ飲みで体に流し込むようになってきた。

 その頃になると、手の震えだけではなく、イライラも募るようになった。会社で見付けた絶好の場所にボトルを隠し、ほぼ1時間間隔でウイスキーを体の中に流し込むようになった。

 ◇布団の中で隠れ酒

 家に帰る前の散歩は続いていた。妻には絶対にばれたくなかったからだ。途中、公園のトイレに寄り、消臭剤とうがい液で臭いを消すことは忘れなかった。

 妻に頼み込み、晩酌は復活した。日本酒で2合。会社での隠れ酒は人目を盗んで一気に流し込むのだが、家で飲む2合だけは公然と飲める酒だ。わざと小さめのおちょこで、おいしそうに少しずつ飲んだ。尋常でつつましい飲み方を妻に見せつけるためだ。

 午前2時には晩酌の酒が切れて目が覚める。会社に出るためには、もう一眠りしなくてはならない。しかし、眠れない。そんな時にはアルコールが睡眠薬だ。かばんに入れていたウイスキーのボトルを取り出す。

 隣には息子が寝ている。妻は別室だ。ボトルを空ける手が震える。真夜中の静寂、ボトルのふたを開けるカチカチという音がすごく大きく聞こえる。息子の目を覚ましてはいけない。息子には醜い父親の姿を絶対に見せたくない。音をさせてはいけない。布団の中にボトルを入れ、ふたを押さえ付けるようにすると音はほとんどしない。グビリと飲んでから、一寝入りする。

 ◇早朝の隠れ酒

 朝、4時半に朝刊の配達がある。横沢さんは、それを待ち構える。朝刊を取りに外に出られるからだ。

 息子が目を覚まし「お父さん、どこへ行くの?」と聞かれても、ちゃんと言い訳ができる。でも、起こさないようにそっと布団を抜け出し、玄関を出る。

 顔からポタポタと汗が流れ、吐き気がする。階段を下り、新聞はそっちのけで団地内のごみの集積場へ急ぐ。そこにボトルを隠してあるからだ。

 あっちの窓から誰か見ていないか、こっちの窓から見られていないか、ごみを捨てにきた住人に会わないか、ビクビクしながら様子をうかがい、ウイスキーを胃に流し込む。

 その場に2〜3分じっとしていると汗が引いてくる。吐き気も治まる。体全体がシャキッと目覚める。

 「こんな生活を長く続けられるわけがない。俺はいつか倒れるだろう。でも、きょう会社に行くためには酒を飲まなくてはならないんだ」

 そんなことを思いながら横沢さんは郵便受けから新聞を取って、家に戻るのだった。(続く)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 ジャーナリスト
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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