代替策と全経過の評価

 しばしば環境問題を考える際に、1つの物質や要因だけを取り上げ、その害を論じることがあります。たとえば有機塩素系農薬の残留による環境汚染問題などです。しかし、環境問題に限らず、すべての物事には別の側面があります。
 スリランカでは、マラリア対策としてDDTやBHCなどの有機塩素系農薬が水路などの消毒に大量に使われていました。これに対し、先進国の環境団体が反対し、こういう農薬を使っている国からの農産物の輸入を停止するよう、政府にはたらきかけました。そこでスリランカ政府はこうした農薬の使用を禁止しましたが、その結果としてマラリアが大発生し、何十万人もの住民が亡くなるということがありました。
 たしかに有機塩素系農薬はがんや先天異常などの問題をひき起こす可能性があります。しかし、資金が限られるなかでもっとも有効に住民の命や健康を守るためには、将来のがんよりは、まず最大の脅威であるマラリア対策を優先させたほうが合理的です。こうした経験に学び、スリランカではふたたび有機塩素系農薬を、ただし農地にではなく蚊の止まる住居の壁だけに噴霧するなど限定的に使うようになったということです。
 現在地球温暖化対策として、原子力発電のほうが石炭や石油などの化石燃料を燃やす火力発電より優れているという議論がふたたび活発になっています。たしかに、運転中の二酸化炭素排出量はその原料の製造過程を含めても原子力のほうが非常に少ないので、停止していた原子力発電所を再稼働させたり、現在の法律で最長60年とされている原発の運転期間について、審査などで停止した期間を除いて、実質的に上限を超えて運転できるようにしました。
 しかし、2011年3月11日の東日本大震災後の津波が襲った東京電力福島第一原子力発電所の事故とその後の放射能で汚染された地域の回復には、長い歳月と控えめな見通しでも20兆円以上の費用を要することがあきらかになり、原子炉の廃炉については事故から10年を超えても見通しが立っていません。あれが1000年に一度の天災で不可抗力であったという弁解もありますが、施設の建設から運転だけでなく、廃炉の費用や使用済み核燃料廃棄までの全経過を考慮に入れた判断(ライフサイクルアセスメント)をしても原発の環境負荷が少ないのでしょうか。これからはますますこうした全体を見通した検討が必要になると思います。


■量的・相対的な把握
 環境対策を多面的に考え、代案も含めて評価するためには、個々の原因を離れ、いろいろな病因の影響を定量化し相対的に評価することが必要になります。
 たとえば、有機塩素系農薬で10万人のうち何人ががんになるのか、逆に有機塩素系農薬を使わないと何人がマラリアに罹患(りかん)し、命を落とすのか。失われる人間の命の数という共通尺度を用いれば、それぞれの場合の被害を量的に比較することができます。むろんその計算においては、分母となる人数、すなわち1000人あたりとか10万人あたりという発生頻度が問題であり、加えて時間のことも考慮する必要があります。平均寿命を80歳とすると、そこまで生きるはずの子どもが命を失う場合と高齢者が亡くなる場合は同じではありません。これらをあわせると、影響の評価の指標として[被害で失われた総生存年数/集団の人数]という式が考えられ、この式から求められる値をリスクと呼ぶことができます。
 ここでは被害の大きさだけでなく、分母を置くことで頻度も考えていることが重要です。たとえば、多くの市販の食品には合成保存料が入れられていましたが、最近は一部の合成保存料の化学物質ががんを起こす懸念から、無添加の食品が好まれます。しかし、腐敗した食品に起因する食中毒や、細菌やカビがつくる自然由来の化学物質の発がん性は大丈夫でしょうか。
 また、合成化学物質が広く使われる前は、腐敗を防ぐために漬けものなどは塩分を濃くしていました。高濃度の塩分摂取はいうまでもなく高血圧脳卒中胃がんなどをふやします。これらの頻度は化学物質によるがんより、はるかに大きいと考えられています。

(執筆・監修:帝京大学 名誉教授〔公衆衛生学〕 矢野 栄二)