女性医師のキャリア
政治と医療の現場から女性支援
性暴力、福祉政策に挑む 富山県議・産婦人科医の種部恭子氏
高校3年の時に初めて受診した産婦人科での理不尽な対応に憤り、産婦人科医になった種部恭子医師。18年前に産科のない婦人科クリニックを開業し、苦悩を抱えた女性たちの受け皿を作る。医師となって目の当たりにしたのは子どもや女性たちへの暴力の現実。病気を治すだけでは終わらない、さまざまな問題を解決するためにNPOを立ち上げ、手付かずだった性暴力対策に携わる。医師として女性と向き合い、政治家となって社会の闇に挑む種部医師が性暴力被害の実態や福祉の在り方について語った。
種部恭子氏
◇人生初の婦人科受診で衝撃
初めての産婦人科受診は高校3年の時。待合室にずらりと並ぶ患者さんたちから興味本位に向けられた目線を感じながら診察室に入ると、中年の男性産婦人科医が「セックスの経験はあるのか?」といった無神経な言葉を投げ掛けてくる。「産婦人科医になって見返してやる!」と怒りが決意に変わり、進学も危ういレベルから猛勉強を始めました。
◇産婦人科医となって抗議
なんとか医学部に入学。医師になって10年ほどたった頃、あの産婦人科医に会いに行きました。彼は医療界の重鎮で、今思えばいきなり飛び込んできた若造によく会ってくれたと思います。「高校時代に受診した時のあなたの態度がどうしても許せず産婦人科医になった」と当時のエピソードを伝えたところ、「大変申し訳ないことをした」と謝罪されました。そして「自分たちのような男性医師には思春期の女性を理解するのが難しい。あなたがそれを担ってもらえないか」と、私が向かうべき方向へと背中を押してくれました。
◇性教育への道が開かれた
産婦人科医になってはみたものの、女性医師に対するアンコンシャス・バイアスは根強い。男性と対等に仕事をして結果を出しても認められることはなく、ポジションも与えられませんでした。当時はどの業界でも女性が労働市場に参入するだけで精一杯だったかもしれません。働く場を与えられるだけマシだ、という諦めがありました。
例の産婦人科医は「自分が担当している学校で性教育をやってみないか」と機会を与えてくれました。さらに産婦人科医会で性教育を考えるグループにつなげてくれたことで、学校や関係団体との接点ができました。依頼される仕事が面白くて、断ることなく全て引き受けていると、思春期や性教育の分野での仕事がどんどん広がっていきました。
女性クリニックWe! TOYAMA(富山市)
◇婦人科受診のハードルを下げる
当時、富山県内には出産を扱わない婦人科クリニックはありませんでした。妊娠や出産は一時的なライフイベントであり、月経トラブルや子宮筋腫などで産婦人科を必要とする人の方が圧倒的に多いはずです。けれども、多くの産婦人科病院の待合室は、中絶や子宮摘出を受ける女性が幸せそうな妊婦さんの横に並んで待つことが当たり前の環境。そのことが思春期女性の婦人科受診のハードルを上げていると考えていました。
「産婦人科は妊娠した人が行くところ」というスティグマを払拭するためには、産科のない婦人科クリニックが必要。2006年、医療法人の傘下で女性医療に特化したクリニックの経営と運営を任せてもらいました。開院初日から多くの女性が来院し、現在も初診まで数カ月お待たせするぐらい、たくさんの女性の健康と人生をお預かりしています。
◇暴力を受けた女性の受け皿に
クリニックの外来には「相手が不明の妊娠中絶」「実父の子を妊娠」といった、大学病院等では診ることのない女性たちが訪れます。患者さんの年齢は10~70代まで幅広く、過去に性暴力を受けて男性医師だとフラッシュバックが起きるので検診を受けられずにいた人、DVを受けた辛い過去を全部吐き出して帰っていく人もいます。行き場がなかった患者さんと丁寧に向き合うことで、同じ問題を抱える人たちの存在にもフォーカスできるようになりました。
(2024/12/12 05:00)